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キュウリ美味しいね。

電子印鑑と選択的夫婦別姓

 コロナ対策として全国的にテレワークが浸透してきた中、私の職場も今年の4月末頃からテレワークが導入され、今や1年前は毎日出勤していたことが信じられないくらいテレワークを満喫している。

 そんな中で恐らく多くの会社員がそうであるように、私も電子印鑑を利用する機会が増えた。元々電子印鑑自体はあったものの、取引先によってはきちんとしたアナログ印鑑(この言い方も変だとは思うが、まぁ伝わるだろう)でないといけないと言うところもあり、コロナ流行による在宅勤務が主流となるまではアナログ印鑑を使っていた。

 ところで私が使っている印鑑は、確か高校の卒業記念品として貰ったものだ。中学の卒業記念品も印鑑だったので、当時は正直「印鑑ばっかりいらないよ。もっと何か良いものないの?」などと思っていた。そのため、少し前に友人が「卒業記念品に印鑑はかなり有難い」という話を聞いたときは目から鱗が落ちた。というのも、彼女はかなりの珍名字なのだ。

 以前にも書いた通り、私の名字は全国ベスト50に入り、学年に一人はいるような超メジャー名字だ。大抵の人はそうだろうが、このようなメジャー名字の人間にとって印鑑の入手は非常に容易い。よほど良い物やこだわった物を求めない限りは、その辺の100円ショップででも簡単に手に入る。印鑑が必要なのを忘れて出先で買ったこともあるくらいだ。

 しかし、珍名字の人間にとっての印鑑はなかなかハードルが高い。その辺の店のあのくるくる回るシャチハタコーナーではまず見つけられず オーダーするしかない。当然私のようなメジャー名字よりも時間もお金もかかる。なくしてしまった場合のダメージも大きい。そう思うと、確かにタダでちょっと良い印鑑を貰えるのは有難いことだろう。

 他にも珍名字の方は、初見ではなかなか読んでもらえない、口頭で読みを説明するのが難しい、なんか目立って嫌、そもそも名字として認識してもらえない……などなど平凡名字にはまるでない苦労をしている。

 記念品の印鑑に喜んでいた彼女の珍名字エピソードで面白かったのは、飲食店で順番待ちの紙に名前を書く時は適当な偽名を使っているということだ。そんなこと考えたこともなかったけれど、確かに店員にすっと読んで(呼んで)もらえないと面倒だし、他の客に変に注目される心配もある。実際私もそういう場で変わった名字を見つけたら「〇〇さんだって!どういう字を書くんだろう」などと思ってしまう。

 そういえばM-1グランプリ2016王者である銀シャリの鰻さんも、本名が鰻という珍しい名字で、幼い頃 家族が飲食店で「ナカニシ」という偽名を使って順番待ちをしていたという話を漫才の中でしていた。これは結構な珍名字あるあるなのだろう。

 偶然にも友人の名字も鰻さん同様 読みが生き物の名称だ。厳密に言えば彼女の方は漢字がそのままではないので、「鰻」よりも「八木(やぎ)」や「加茂(かも)」のレア版といった方が近いかもしれないが。

 そんな珍名字の彼女の苦労といえばもう一つ大きなものがある。それが結婚に伴う改姓問題だ。
 私を含め友人たちは彼女を「名字+ちゃん」など名字派生の呼び方をしているが、もし彼女が結婚して改姓したらもう「名字+ちゃん」ではなくなるのだ。いや別に友人同士なのだから旧姓で呼んではいけないわけでもないし、本人が気にならないなら口出しをする権利など全くない。しかし彼女本人もその名字にちなんだアイテムを持っていたりと、自身の名字をアイデンティティの1つとしていたように思うし、過去に「親族以外でこの名字の人を見たことがないので なるべくこの名字を残したい」とも言っていたのを記憶している。他人ながら珍名字に憧れている人間としても、たとえば彼女が私のようなメジャー名字になるなら「なんてもったいない!」などと思ってしまう。

 ここからちょっと真面目(?)な話になるが、選択的夫婦別姓制度の導入については昨今よく話題になっている。恥ずかしながら私は政治的ニュースに疎いのだが、このような自分も近い将来関係するかもしれない問題については無関心ではいられない。とはいえ、SNSで個人(知人も赤の他人も有名人も一般人も)の意見を眺める程度なのだが。
 私はというと、選択的夫婦別姓制度100%賛成派だ。慣れ親しんだ名字を変えたくない、改姓手続きが面倒、名字が変わることでこれまでの仕事や研究の実績がなくなってしまう可能性があるなど、改姓に伴うデメリットを解消できる。

 一方で反対派の意見もSNSでは見るが、自分が賛成派だからフラットな目線で見られていないというのもあるかもしれないが、賛成派が実生活での不便の解消を理由にしているのに対して、反対派の理由はあまりにふわっとしたものが多いように思う。

 反対派の意見で(この問題に関するニュース記事についたコメントをざっと見る感じでは)一番よく見るのは「同じ名字でないと家族の一体感がなくなる」といったものである。

 確かに同じ名字の方が一体感・連帯感はあるように見えるかもしれないが、そんなの個人(個家族)の感覚次第では……そのための「選択的」なのだから「うちは改姓に特に負担を感じないし、一体感が欲しいから同姓!」で良いと思う。そもそも外国の別姓家庭が全て不仲かといえばそんなわけないし、反対に同姓で不仲な家庭など日本でもごまんとあるではないか。

 あとは「子供が可哀想」というもの。「子供の名字がややこしいことになる」はまだ分からなくもないけど、「可哀想」ってどういう理屈なんだろう。純粋に謎。仮に生まれた家庭が別姓夫婦なら「うちはそういうもの」程度の感覚だと思う。「世の中には朝ごはんが白ご飯派もいるみたいだけど、うちは食パン派の家なんだな」みたいな。ちょっと違うか。
 「両親が別姓でいじめられる」的な意見も見るが、実際クラスメートの親の名字なんか気にしたことあるだろうか?私はない。そしてこれも先と同様に「うちの親は同姓だけど、〇〇ちゃんのとこは別姓なんだねーへー」で終わると思う。子供なんてそんなもんじゃないの。

 そして反対派は見た感じでは、やはりというかなんというか男性が多い印象だ。(実際は男性側が改姓することも勿論可能だが)圧倒的に女性側が改姓することが多く、それが当たり前だと思っている男性が多いからなんだろうか。

 また「結婚して夫の姓で呼ばれることに喜びを感じるのが女」というようなウヘェな発言もよく聞く。勝手に他人の幸せ決めんなよ……その辺のオッサンが言っているだけならまだ良いが(それでもキモイことには違いない)、メディアにも出るような有名人もこのような発言をしていて驚いた。案の定総ツッコミだったのが幸いだが、政治家のオッサンにもこのような考えの人が多いんだろうなと思うとしんどい。
 ちょっとズレるが「俺の名字あげるよ」みたいなプロポーズ台詞がイカしてると思っている男性がいたら、やめといた方が無難だ。最悪それが原因で別れる可能性すらある問題だと思っている。

 私個人はと言うと、自分の平凡な名字にそれほど執着があるわけではなく、未だに珍しい名字やカッコいい名字に憧れている。そのため 今のところ何の予定があるわけでもないが、結婚相手が例えば有栖川さんや西園寺さんだったら喜んで改姓したい。しかし山田さんや田中さんだったら……手間と労力をかけてまで、今と同レベルかそれ以下の平凡名字にわざわざ変えたくはない(全国の山田さん田中さん申し訳ありません)。仮にどれだけ愛していても相手が山田さんだったら 私は別姓を望むだろう。子供を作るつもりはないので子供の名字云々は無関係だが、仮に子供を持つとしても先ほど書いた通り「うちは食パン派だよ」で済ませるだろう。

 私はこんなテキトーな考えだが、しかし絶対に同姓!絶対に別姓!という人よりも、私のような意見の人が多数なのではないかと勝手に思っている。そんな人のための「選択的」夫婦別姓制度じゃないのか。何故今の「強制的」夫婦同姓にこだわるのか…………

 もうめんどくさくなってきた、もういっそ国民全員に適当な数字とかを割り振って、名前はもう何でも自分が必要に応じて好きなのを名乗って生活できるようにしてみたらどうか。そうしたら私は「国民番号304958610XXXXX 西園寺麗華」として生きるよ。