腰を労った2025年
2025年1月1日午前10時、クシャミをしてギックリ腰になった。
今からほぼ丸々1年前のことである。実家で年越しをして、家族で朝のおせちを食べ終わった頃、椅子から立ち上がるタイミングでふとクシャミをしたら突然全身の力が抜け、床に崩れ落ちた。
初めは自分でも何がなんだか分からず、「なんか急に力抜けたわ〜」と笑いながら立ち上がろうとした瞬間 腰の左側に激痛が走って理解した。なってしまったのだ、ギックリ腰に。
ギックリ腰だと理解した後も、それでも初めのうちは楽観的だった。というのも、私が人生で初めてギックリ腰になったのは大学生の頃で、その時は重い物を持ち上げようとしてなったのだが、1日湿布を貼っていれば多少痛みはあるものの普通に生活できる程度には回復していたので、今回も同じようなものだろうと考えていた。
家族に湿布を貼ってもらい、とりあえず横になって お笑い東西対抗みたいな正月特番を見ながらウトウトし、目が覚める頃にはマシになっているだろうと眠りについた。
が、しかし今回はそんなに甘くはなかった。目が覚めてからもマシになるどころか 痛みは増すばかりで、座ることすら難しい。特定の角度でないと激痛が走るため、不用意に身体を動かすことができない。
ここまできてようやく事態の深刻さを理解したのだ。
夜になってもまともに立ち上がることもできず、移動は辛うじてハイハイができる程度。トイレに行くのも一大事である。
こうなるともう今日明日でどうこうできるものではないと、父の知人がやっている鍼灸院を無理を言って開けてもらい 正月にもかかわらず治療をしてもらった。
ちなみにその鍼灸院に行くために車に乗るのも自力ではできないので、父におんぶしてもらい、その間も激痛に泣き叫んでいた。
仕事始めは1月6日からだったのだが、それまでに出社ができるようになるとも思えなかったため、上司に年始の挨拶と合わせて事情を説明し、しばらく在宅勤務にさせてほしいと伝えた。幸い職場にはギックリ腰経験者のおじさんが多く、この辛さをかなり理解してもらえた。
その後ほぼ毎日鍼灸院に通い、3日あたりで自力で立って家の中くらいであれば歩けるようになった。ただし腰は90度くらいに曲げていないとダメで、手すりや杖も手放せなかった。街行く老婆が手押し車のようなものを押している理由が分かった。
自力で真っ直ぐ立って歩けるようになったのは10日を過ぎた頃だった。歩けることの有難みをこれほどまで感じたことはない。世界が美しく見えた。
そして11日に予約していたネイルサロンに行くために大阪に戻った。それでもやはり杖なしで長時間(せいぜい15分くらい)梅田の町を歩くだけで腰が痛みはじめ、途中で休憩を挟む必要があった。
その翌週から出社をしたが、その通勤電車でも立っていられず、よほど苦痛に顔を歪めていたのか、おじさんに席を譲ってもらった。おじさんには本当に感謝している。
結局、完全復活したと言えるのは2月に入ってからだった。よって私の2025年は2月1日に始まったと思っている。
あれ以来クシャミをするときはしっかり腰を支えてきたし、より健康を意識した1年だった。
あと10時間と数分でギックリ腰事件から丸1年が経つ。なんとなく、また正月早々ギックリ腰になるのではないかという不安が付き纏っているので、まずは2026年1月1日を無事に乗り切りたい。
第二回 びじゅチューン!お気に入りソング10選
最近、作業用にまたびじゅチューンの曲を聴くのにハマっている。リアルタイムでの番組視聴はできていないのだが、NHK公式YouTubeに動画がアップされているのでそれを何度も再生している。
前回好きな曲ランキングを書いた時から既に6年以上(!?)が経っているのだが、その間にまた新しくハマった曲が生まれたり、6年前はそこまでハマらなかったが今は刺さるという曲もあるので紹介していきたい。
前回順位を決めるのに大変苦労したため、今回はランキングという形ではなく公開が新しい順に10作紹介する。なお前回挙げた曲は今も勿論好きなのだが、重複のないように選んでいる。
↓6年前に書いた記事はこちら
そして、これを書いている途中でYouTubeおよび公式サイトでの動画公開が25年9月末までに停止されるという発表があった。とても悲しい……一応動画へのリンクを貼るので、短い間しか有効ではないが是非消される前に観てほしい。
ポッピンシューティングデー
元ネタは、喜多川歌麿『ポッピンを吹く女』

一度は言いたくなる言葉「ポッピン」。実際のポッピンの音も入っているのだが、思ったより高く短い音で「ピッ↑ピッ↓」という感じだった。
グロッケン(?)の怖そう・不穏そうなイントロで始まるも、ドラムとシンセ(?)が入ってEDM風(?)になり、モデル撮影のカッコいい雰囲気に。
段々テンションが上がってきて迷走して「……なんだっけ?」となるのが面白い。
雨天中止のパトロール
元ネタはご存知、レンブラント『夜警』(1642)

超有名作品なので何度もこの絵を見ているはずなのだが、言われるまで「あれ、雨降ってない?」みたいなポーズであることに気付かなかった。
隊長なのにちょっと雨が降っただけで足をバタバタさせ駄々をこねて「じゃ、さよなら!」と家に引きこもる、最悪である。
隊長が出てくる前と後で曲調がガラっと変わるのが楽しい。
この曲のおかげで、真ん中の隊長がフランス・バニング・コック、その右側にいる副隊長がヴィレム・ファン・ライテンブルフという名前だということを覚えられた。
窓越しの孔雀明王
元ネタは国宝『孔雀明王』。

なんか強くて威厳のありそうな明王が丁寧にビルの窓掃除をしているのが微笑ましい。
ピアノの軽やかなメロディも楽しくて好き。「ちょっとは飛べるよピーコック」が可愛い。
『お局のモナリザさん』はじめ様々な曲に登場する謎の会社(株)ジョコンダの女子社員2人の苦悩や葛藤といった人間模様が見られるのも良い。
この曲で、もこもこヘアの女子社員の方の名前が木々枝美と判明したのも個人的には嬉しいポイント。
焔のお習字教室
元ネタは、上村松園『焔』(1918)

意外と最近の作品ということに驚いた。
不気味でおどろおどろしい六条御息所だが、町の人々の嫉妬の焔を習字にぶつけてスッキリしようと提案する慈善活動(?)を行っている姿が良い。
個人的に、嫉妬に悩まされている人たちが他作品で登場したキャラクターばかりなのがびじゅチューンファンにとっては嬉しい。
【参考】お習字に誘われた人たち
・バイト先で後輩の方が仕事を覚えるのが早い、伊藤さゆり。(ツタンカーmailほか)
・隣人の車が自分と同じ車種だが1ランク上だった、火野家の父。(噴火する背中ほか)
・好きな人が別の女とお祭りデートに行っていた、見返り美人。(見返りすぎてほぼドリル)
(ジョセフと何にでも牛乳を注ぐ女がお祭りに行っているという事実が衝撃だった。)
・2学期から成績を抜かれた、クラスメイ子。(トゥルプ博士の参観日)
続いては、信貴山の石橋さ~ん
元ネタは、国宝「信貴山縁起絵巻」

ちょこちょこ色んな曲で登場するBT Newsのレポーター石橋さん。彼女は私の推しキャラである。
過去には八橋蒔絵硯箱に住む宮本さんへのインタビューで 結構な扱いを受けていたが、今回もかなり体を張って取材している。ただし内容が変な夢の話みたいで、誰にも伝わっていない。
全く関係ないが、「信貴山縁起絵巻」は昔ハマっていたしりとりゲームで使いやすいワードだったため、言葉自体は知っていたが、内容はよく知らなかったので曲になってくれて嬉しい。
【参考】その他の石橋さん登場曲
ひとよだけ巡査
元ネタは、エミール・ガレ『ひとよ茸ランプ』(1904頃)
こ

この曲に関しては、ほぼほぼサビのメロディ・リズムが好きというだけで選んだ。
ジャズ風(?)の変拍子が心地よくてつい口ずさんでしまう。
普段は田舎の駐在をしているひとよだけ巡査だが、重大事件(?)の捜査員に大抜擢され、「お任せあれ」と、モールス信号を調べながら犯人確保のため頑張る姿が可愛い。
そしてこのひとよ茸ランプはちょっと欲しい。調べたところ、レプリカでもまあまあ値段がするので、北澤美術館公式で販売されているひとよ茸アクスタを購入するか迷う。
長野には一度行ってみたいといつも思っているので、その際はこの北澤美術館にも足を運びたい。
ダンス寿司
元ネタは、アンリ・マティス『ダンスII』(1910)

3年前に友人たちと「びじゅチューン! EXPO ~ときめき立体ミュージアム~ リターンズ」なるイベントに参加した際に展示物があり、そこで延々この曲を聴いたことでハマった。

「ダンス・ダンス・ダンス・ダンス・ダンス・ダンス♪」と皿が重ねられていくシーンが好き。
所蔵がエルミタージュ美術館なので、留学時に実物を見ているはずなのだが、残念ながら記憶にない。写真も残っていなかった。エルミタージュに行った当時この曲を知っていれば確実にもっとテンションが上がっていたはず……悔しいので、いつになるか分からないがリベンジしたい。
雪中のフォーメーション<山>
元ネタは、ブリューゲル『雪中の狩人』(1565)

この曲は前回投稿時には知っており、ベスト10に入れるか悩んだ覚えがある。
「雪中の狩人」なんてカッコいい呼ばれ方なのに、実際は雪遊びして家でぬくぬくゴロゴロしたい犬、愛おしい。
犬の名前もカッコいい英語名ではなく、ゆるい日本語名で可愛い。どうでもいいが、「ひじき」がいるのも良い。私はペットに何の脈絡もない食べ物の名前をつける飼い主のことは信頼している。
1番では「右へ」「左へ」というちゃんとした指示を出しているのに、2番では「冷静に」はまだしも「遊ぶな」と、もはや全く言うことを聞いていない様子が窺え、ワンコたちのゆるい冬の日常が想像できる。
博士、それ象牙多層球ですよ
元ネタはそのまま『象牙多層球』

この曲も前回投稿時はそこまで気に入っていなかったのだが、最近はずっとリピートしている。
象牙多層球は台湾の故宮博物館に展示されており、これまで何度も台湾出張に行っては寄りたいと思っているのだが、タイムスケジュールが合わずに断念している。もうプライベートで行こうかな……
そしてこの博士も私の推しキャラの一人で、ひとたび何かを思いつくと助手のロボの話も聞かずどんどん妄想を膨らませたり、好奇心を抑えられずに汽車に忍び込んでタンクに絵の具を混ぜたりしてしまう破天荒な姿が好きだ。
保健室に太陽の塔

かなり初期の曲なので、前回書いたときにも当然聴いていたのだが、今更すごく好きな曲になった。
大した苦労もしてこなかった私が言うのもおこがましいが、「何を選んでもそれは進化」という歌詞に何だかうるっときてしまった。
大阪に住んでから何度か万博公園で実物の太陽の塔を見て、なんというかパワーのようなものを感じたのもあるかもしれない。
音楽としても、力強いピアノの和音とキラキラした音(電子音?)が美しい。「てっぺんがクロマニョン人」の三連符も好き。
ちなみにコーラス版では「万博万博万博ワクワク……」と入っていて楽しい。
***
前回も10作選んだので今回は選ぶのにそんなに苦労しないだろうと思っていたが、さすがびじゅチューン、今回も「これとこれ、どっちを入れようか……」などとかなり葛藤した。(こんな誰が読んでいるわけでもない個人ブログなんだから、好きなもの全部挙げれば良いだろという話だが。)
恐らく『何にでも牛乳を注ぐ女』と並び一般知名度の高い『噴火する背中』や、8年前(!)にびじゅチューン!を教えてくれた友人のお気に入りソングだった『審判はフリーダ』、なんとなく口ずさんでしまう『書記に必要なギャルの精神』、『月曜日モンスター』などは特に迷った。
最初に書いた通り、月末でネットでの公開が終了してしまうのが残念で仕方がない。NHKのサブスクに加入していつでも聴ける・観られるのであればそれだけで入る価値があると思っているので、万が一NHKの関係者が見ておりましたら、ご検討のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
愛おしき「ふつう」の人々よ
先日、友人に『ふつうの軽音部』という漫画を勧められた。オタクではあるものの漫画にはさほど詳しい訳ではない私でも、SNSで話題になっており、勧めてもらう前から何となくタイトルは聞いたことはあったのだが、有名な「軽音部」のアニメ・漫画といえば、とりあえず可愛くてクセの強い女子高生キャラに、申し訳程度の楽器・音楽要素をつけてわちゃわちゃさせる……という印象だったので、勝手な偏見で別にわざわざ読まなくても良いか、とスルーしていた。
しかし、信頼する古くからの友人(上記のような女子高生わちゃわちゃ系を好むイメージもない)がやたらとハマっているのを知り、どうやらそういう作品でもなさそうだぞと思っていたところ、ジャンプ+のアプリで初回は全話無料で読めるから是非読んでほしいと言われ、それならばとアプリをダウンロードしたのである。
結果、勧めてもらったその日の夜に、その時点で公開されていた44話全てを一気読みし、翌日単行本まで買ってしまった。
タダだしという軽い気持ちで読んだにもかかわらず、ケチな私でもここまでお金を使っているので、無料公開というのは出版社サイドからもしても良いプロモーションに違いない。今後もぜひお願いしたいところである。
そんなわけで、急にハマってしまった『ふつうの軽音部』の良さについて、熱が冷めないうちにざっくり書いていこうと思う。
本当に「普通」な設定
私が思うに、『ふつうの軽音部』(以下、『ふつ軽』と略させていただく)の最大の魅力は、タイトル通り「ふつう」なところだ。
ちょっと渋めの邦ロックを愛する新高校1年生・鳩野ちひろは、初心者ながらも憧れのギターを手に入れ、念願の軽音部に入部する。個性豊かな部員たちに困惑しつつも、バンドを結成することになるが──!?
超等身大のむきだし青春&音楽奮闘ドラマ、開幕!!
(単行本1巻あらすじより引用)
あらすじには 「個性豊かな部員たち」とあるものの、私が読んだ感想としては「登場人物が全員普通」だった。
高校生が主人公になる作品の場合、天才ばかりが集められる学園とか、逆に荒れまくっている学校が舞台になったり、ファンタジーものでなくてもIQ300の天才だとか財閥の御曹司だとか、誰もが見惚れる美男美女、高校生にしてプロ顔負けの実力……みたいな、現実に存在はするにしても「とって付けたような設定感」が強いキャラクターが多いし、展開もその設定に頼ることが多く、一般庶民からすれば非現実的なものが大半だ。
一方で『ふつ軽』の舞台は 大阪の特別難関でも馬鹿でもないであろう高校で、登場人物も主人公ちひろをはじめ、部活仲間もクラスメートも先輩も男も女も、みんな「いるよねこういう子」というような感じだ。ごく一部、というか一名ちょっと変わったキャラがいるものの、それも現実的な範囲だし、ギャグ演出・ストーリーの進行のために必要となる程度で強引さを感じない。現実で関わる人間にいるかいないかで言えばいるし、実在する変わった人に比べたらよほど普通だ。
ストーリーも想像のつかない展開に翻弄されるわけでもなければ、未知の世界を知れるわけでもない。誰もが経験したような、徹頭徹尾「ふつうの高校生」の「ふつうの部活」を描いている。
いわゆる部活モノの漫画やアニメでは、主人公や主要キャラクターはそれ(スポーツなり楽器なり)がひたすら好きで、実力のなさに落ち込んだりライバルに負けて悔しいと感じたりはするものの、上手くなるための努力は厭わず、常にそのことばかりを考えて、弱小校から全国大会優勝を目指したりする。勿論そういう作品は面白いし、私自身そういう内容の好きな作品もある。(ちなみに私は長年『ハイキュー‼︎』が好きだ。)
だが一方で、現実はそんなにキラキラもギラギラもしていない。よほどの強豪校でもない限り、そこまでの熱量で部活をしている人はそういないだろう。入部する以上それなりに好きだし、それなりに練習したりするけれど、全国大会やましてやプロを目指すつもりなど毛頭なく、普通に勉強や家庭の事情が忙しくなればそちらを優先するし、普通に他の趣味もあるし、普通に人間関係が抉れて部活を辞めるし、普通に楽しんで普通に苦しむ。私自身も周りもそうだった。『ふつ軽』はそんなキラキラしていない、まさに「超等身大のむき出し青春」な部活漫画だ。
そんなキラキラしていない作品を面白い・好きだと思えるのは、決してその非キラキラさをネガティブなこととせず、思春期少年少女に対する高い解像度をもって各キャラクターの心情を丁寧に描いているからだろう。
これは個人的な印象だが、特にファンタジーではなくリアル寄り(現代日本を舞台としたもの)の作品の場合、登場キャラクターが妙に性格が悪かったり、コンプレックスを煽るような設定・描写が多い気がする。特に女子学生グループの中では常にマウント合戦が繰り広げられ、容姿や家庭環境のレベルでジャッジし合い、劣等感を抱き、巧妙に自分の優位性を匂わせたかと思えば、やたらと攻撃的な言動をしたり……
こういう人・出来事がないとは言わないが、ある程度生きてきて、内心負の感情を他者に抱いていたとしてもそれを表に出すような人に私は出会ったことがない。フィクションなんだから誇張するのは当たり前と言われればそれまでだが、リアル寄りの作品ですらキラキラもドロドロも極端すぎて、現実はもっと普通に楽しくて普通にしんどいよと言いたくなってしまう。そんな中で、何度も言うが『ふつ軽』は本当に普通で、エンタメとリアル、楽しさとしんどさが絶妙な塩梅なのだ。
人間関係のリアルさ
男女が同じくらい登場する作品、特に舞台が高校の作品の場合、当然のようにキャラクター同士の恋愛描写が出てくる。実際同じ部活メンバーに恋愛感情を抱くことは現実でもよくあることというか寧ろ自然なのだと思うが、多くのフィクション作品の場合、メインキャラクターは必ずと言って良いくらい近しい異性が現れると恋愛・性愛対象としてどうなるかという流れがあり、それもやたらとドラマチック(良い意味だけでなく、修羅場みたいな内容でも)なストーリーがある。
正直なところ、私はこの「距離の近い男女がとにかく恋愛として描かれる・扱われる」作品が苦手で、某探偵漫画なんかは主人公たちだけでなく警察関係者など脇役と言っていいようなキャラですら、ちょっと目立ってきたら恋愛相手をあてがい、だらだらその話を続けるところが嫌で離れてしまっている。(もっともこの作品に関しては、作者がそういう趣味だと公言しているようなので、それならもうそういうジャンルなんだと捉え、not for meだと割り切っている。もしテコ入れとか、読者はこういうのが好きなんだろ?とダサピンク現象的なことで無理やりやっているなら抗議したいが。)
一方『ふつ軽』では、登場キャラの恋愛描写はあるし、それが展開にそれなりに大きく影響はするものの、その恋愛がやたらと大袈裟に・メインディッシュとして描かれることはない。
※以下、大きなネタバレにならない程度にストーリーやキャラクターに触れるが、少しのネタバレも避けたい方は、これ以降は読まずにジャンプ+をインストール、もしくは本屋に行ってほしい。
ちひろ達の所属する軽音部内での恋愛関係の中心となるのが、ちひろと同じ1年生男子・鷹見項希だ。彼はルックスも良く、1年生ながらギターの腕前も軽音部随一で女子からの人気も高い。そんな鷹見は入学早々同じ軽音部の1年生女子と付き合うが、「なんだか面倒」といういう理由であっさり別れ、その後すぐに同じバンドメンバーの1年生・藤井彩目と付き合うが、これも彩目の性格に嫌気が差して早々に別れてしまう。
女読者の私から見て、鷹見はいけ好かない男ではあるものの、決して浮気したり暴力を振るったりするとんでもないクズ男という訳ではなく、彼の立場ならそう思っても無理ないだろうとも思えるし、所詮高校生の、子供同士の恋愛なんてそんな感じだ。たかがクラスメートや部活仲間として知り合って付き合った相手とそのまま5年10年と付き合い続けて、結婚したり子供ができていたりする将来を描く作品は多く、確かにそれは理想的かもしれないが、実際は付き合うも別れるもアッサリだ。
また、同性愛者やアロマンティック(と思われる)のキャラクターがさらりと出てくるのも良い。こういうキャラクターが出ると、一部の人はすぐに「ポリコレに配慮して無理やり入れている!」などと言うが、私からすると先にも書いた通り、近くにいる男女が当たり前のように恋愛関係になる方が無理やり感を覚えるし、実際同性愛者やそもそも他人に恋愛感情を持たない人間は案外多いと思う。
ちひろのクラスメートかつ同じ軽音部の内田桃は、アロマンティック(なのではないかという描写がある)で、中学からの親友2人の恋愛話を聞くたびに内心疎外感を覚えたり、自分がおかしいのではないのか?という悩む。周りが恋愛にはしゃぐ一方、自分は興味が持てず、大好きな友人を「彼氏」というぽっと出の男に取られたような気持ちを抱える中、とある出来事がきっかけで親友と喧嘩をしてしまう。
私自身は性欲を持たないアセクシャルの人間なのだが、恋愛感情と性欲がイコールとして語られることが多い中、世間一般で言われる「恋愛感情」も自分にあるのか長年疑問を持っている。桃の倍くらい生きている私ですら、未だに恋愛感情とは何なのか?などモヤモヤすることも多いのに、まだ高校生になったばかりの桃が抱えるには大きすぎる悩みだろう。そういった意味では、私は桃に一番共感・感情移入してしまう。
現実の人間関係のトラブルは大抵の場合、特別悪い人がいる訳ではなく、誰も悪くはないけれど気を悪くする人が出てくる(気を悪くした本人も、その原因となる相手が悪い訳ではないとは理解している)ことで発生するのだと思う。それは高校生という子供でも同じで、『ふつ軽』はそういう「誰が悪い訳じゃないし、分かりやすい解決策がある訳ではない、よくあるしょうもないトラブル」の連続だ。大人読者にとっても「これは過去の自分だ」と思えるキャラクターが一人はいるんじゃないだろうか。
ちゃんと「軽音部」をしている
ここまで部員同士の人間関係描写の濃厚さについて書いてきたが、ギラギラ・ガチガチすぎないだけで、きちんと「軽音部」をやっているのも良い。
演奏技術の巧拙に言及があったり、上手い人は熱心に練習しているし、発表の場で下手なバンドはちゃんと観客に下手と思われている。初心者が大した練習もせず初めての舞台で大盛り上がり!なんて都合良くはいかないし、かと言ってそれで周りに見下されたり酷く馬鹿にされるような極端な展開もない。
演奏する曲も、実在のアーティストや楽曲をそのまま取り入れいるため、これまで書いたような「普通」なキャラクター設定も相まって、実際にちひろたちが、自分と同じこの世界に生きているんじゃないかと思える。また読者が作中に登場する曲を聴くことで、ちひろ他キャラクターの感情や考え方(と書くと大げさかもしれないが「好み」「性格」レベルのことでも)がより伝わってくる。
登場曲も、クラシックと特定のアーティストの曲ぐらいしか聴かず、よほど有名な曲・アーティスト以外知らない私ですら知っているものも出てくるし、知らなかったとしても話についていけないということは全くない。それに、知らない曲を調べてみて良いなと思うなんて、友人から勧められて聴いてみたり、カラオケで友人が歌っていて覚えた学生時代みたいで懐かしい気持ちになる。
演奏・歌唱シーンは幾つかあるが、まず初めに『ふつ軽』のストーリーが大きく展開する重大場面・夜の視聴覚室でeverything is my guitar/ andymoriを一人でこっそり演奏するシーンでは 、ちひろの意外にも(そしてリアルな)複雑な過去が回想シーンで判明し、そのモヤモヤを全部吐き出すような歌詞とのリンク感も良い。原曲を後で聴いて少しハマっている。
もう一つ気に入ったシーンのひとつは、失恋後、鷹見に酷い言われ方をした彩目が、永井公園(これは大阪に実在する長居公園がモデルだろう)でちひろの弾き語りを聴くシーン。彩目の、他人から見て決して良いとは評価されないであろう性格も、それに至る経緯も、全部含めて彩目という人間が好きになる良回だ。
そしてこの時にちひろが演奏していたのが、理由なき反抗(The Rebel Age)/ a flood of circle 。
本当に偶然なのだが、今年4月頃から新しく同じ職場の別部署に入ってきた女性がとてもオシャレで常々話してみたいなと思いながら半年が経ち、勇気を出して話しかけてみたところ、彼女がこのa flood of circle の大ファンで、この曲も教えてもらった。その矢先に『ふつ軽』にこの曲が登場したので、なんだか勝手に運命的なものを感じている。
冒頭で「熱が冷めないうちに書く」などと書いていたが、『ふつ軽』を読んだのが11月の初めで、これを書き始めたのも同時期なのに、今はもうまさに2025年を迎えようとしている。
『ふつ軽』は既に51話が公開されており、さらに新たな展開が始まっている。これからもちひろ達の「ふつう」な生活を見守っていきたい。
センスは金では買えないが
2024年も早くも6分の1が終わろうとしている。2017年1月に開設したこのブログだが、10周年を迎える日もそう遠くはないと思うと恐ろしくなる。去年はとうとう1記事、それも何年も前に書き残していた文章の供養というなんともお粗末な投稿しかできなかったが、書きたいことはまだたくさんあるので、今年こそ何度か投稿できれば良いなと考えている。
さて、大阪梅田では北エリア(グランフロント大阪周辺)で大規模な開発工事が進んでいるのだが、私の職場からは この工事の様子を上から見ることができる。
私が就職した時点で既に工事は行われていたのだが、個人的に完成までの記録をしておきたいなと思い、数年間にわたり定期的に職場から撮影し、「工事進捗」という名目でデータを保存している。撮影と言っても、窓越しにスマホで撮るだけ、しかも気が向いたときだけなので大した資料にはならないのだが、時々見返すと着実に工事が進んでいることが分かってなんだか楽しい気分になる。
それと同時に、よくこんな長期間で計画通りに進められるなぁと、感心というかもはや畏怖の念が沸く。ここで言う「計画通り」とは工期の話ではなく、(恐らく)元々あった設計の通りマトモなものを完成させられるという意味である。世の中の数多ある都市、公共施設、住宅等々、途中で思った通りにいかずにぐちゃぐちゃになったりしないのが、当たり前と言えば当たり前だが、それでも凄いと思ってしまう。
私は常々、生活感のないおしゃれで綺麗な部屋に住みたいと考えている。同じように思っている人はたくさんいるだろうが、そのうちそれを実現できている人は少数派ではないだろうか。私も実現できていない派の一人で、物件選びや家具選びを間違えてしまったり、見映えよりも利便性を優先した結果、「なんだかごちゃついた部屋」になってしまっている。
とはいえ私は散らかった部屋にいると気が狂ってしまう人間なので、掃除・整理整頓に関しては世間の平均よりは意識が高い自負がある。「ごちゃついた」というのはあくまでも「モデルルームのような、家具や調度品にも統一感がありスッキリした部屋ではない」という意味であって、仮に 服が出しっぱなし、テーブルに使わない調味料が出ている、シンクに洗い物が溜まっている……といった“本当に”散らかっている部屋の住人に「分かる~散らかっちゃうよね!」なんて言われたら、一緒にするなと内心ブチギレるだろう。我ながら嫌な奴だ。
しかしいくら整理整頓が行き届いていても、モデルルームを理想とするとどうしても今の自宅に納得がいかず、「テーブルとソファはもっと淡い色にすれば良かった」「家電は白ではなく黒にしたら良かった」など毎日毎日モヤモヤしている。ちょっとした小物ならともかく、家具・家電となると気に食わないものでも簡単に処分したりもできない(物理的にも、精神的にも)。以前にも、「間違えて買ったものを視界に入れたくない」ということを書いたが、それでいくと家具・家電、ましてや家そのものなど、視界に入るどころではないため、当然ストレスがかかる。
そんなストレスを抱えるくらいなら高くても買い替えた方が良いと、最近は淡い色のテーブルとソファをネットで探しているが、結局実物を見ないと色合いは分からないし、実物を見たとしても持って帰ってみたらなんか思ってたのと違う……という可能性もある。そもそも、その時は良いと思っていてもやっぱり気に食わないということもある。実際、今のテーブルとソファも購入したときは気に入っていたのだ。私がテーブルなら理不尽だと文句も言いたくなるだろう。また、私は転勤ありの仕事をしているため、今の家に合わせて買った家具も、引っ越し後の部屋では合わないということもありうる。そんなことを考えていたらいつまで経っても何もできていないのが現状だ。
そんな私なので、どうぶつの森のように家具を一瞬で葉っぱに変えて持ち歩いたり タンスにしまっておければ良いのにと幼少期から本気で思っている。前回書いた「ドラえもんのスペアポケットを収納グッズとして欲しい」というのも同じことだ。それさえできれば、仮に買い替えた家具や家電が思った感じと違っても、とりあえず処分するまでの間は邪魔にならないところ・目に入らないところに置いておける。
そういう意味では、どうぶつの森は私のような 現実では理想の部屋を作り上げられない人間にとって、仮想空間で自分の思い描く理想の町や家を手軽に作れるとても良いゲームなのだ……などと言いつつ、考えてみると どうぶつの森でも私は理想の島づくりには失敗していた。
2020年3月に発売された『あつまれ どうぶつの森』、通称『あつ森』は、無人島に移住して、自分の家を作ったり、他の住民を誘致したり、木や花を植えるのは勿論のこと、土地を掘り返して川や池を作ったり、土を盛って崖を作れるなど、これまでのシリーズと比べても格段にできることが増えた。その自由度の高さと、コロナ禍の真っただ中という情勢もあり、同作品が大ヒットしたのがもう4年前というのだから信じられない。
私は世間より一足遅れた2021年春から始め、理想の島を作るのに躍起になっていた。私の理想の島とは「石畳の街を抜け、森に入ると立派な薔薇庭園、その奥には大きな洋館があり、そこに住む麗しの魔女(私)」。改めて文字に起こすと恥ずかしいが、私に限らずこういうテーマを理想として『あつ森』をプレイしていたユーザーは多いだろう。
そんなわけで、当時GW休暇中ということもあり毎日朝から晩まで島開発をしていたのだが、そう簡単には進まない。実際にプレイした人なら分かると思うが、あのゲームでは欲しい素材を作るにもある程度のミッションや、特定の条件をクリアする必要がある。そうなると、最初からある程度考えて開発を進めていたつもりなのに、条件をクリアしてやりたい施工ができるようになった頃には、もう既に予定と現状にズレが生じている。「最初にここに博物館を建てたせいで、このエリアが開発できない!一旦移動させるにも金と時間がかかる!いっそ一番最初からやり直したい!」などと、現実の家具と全く同じ状況に陥っていた。
ところで私の高校時代からの友人に 非常にオシャレでセンスのある女性がいるのだが、彼女の自宅はさながらモデルルームで、常に整理整頓されているのは当然、家具家電にも統一感があり、調味料などの生活感を感じさせるものは見える位置に出さないなど徹底されている。そんな彼女も当時『あつ森』をやっていたのだが、彼女の島は自宅同様美しく、自然と町との共生が見事に再現されていた。聞けば彼女は誘致する住人も徹底的に厳選し、自分の島の景観に合うような家を建て、見た目も可愛らしいキャラクターのみを集めていた。(「島の景観を損ねる」という理由で、たもつという名前からしてアホそうなゴリラの住人を必死で追い出そうとしていたのは、なんだかたもつを可哀想に感じつつも面白かった)
私もせめてゲームの中でくらいは彼女のような美しい島を作りたかったのだが、なんだか思った通りに進まず、結局島の開発計画は無期限中止状態に陥ってしまった。所詮ゲームだから良いが、これがもし現実の街の開発だったならとんでもないことだろう。そういう意味で、最初に書いた通り、梅田の開発が着々と進んでいる様子にある種の感動を覚えるのだ。
素人が個人的に片手間でやっている部屋の模様替えやゲームと、巨額の金と何百何千もの人が動き10年単位で計画された街開発を同列に語るなという話だが、梅田のような都会の大規模な開発でなくとも、例えば私が田舎の小さな村の権力者だったり、小さな企業のワンマン社長だったりしたら、「なんとなくオシャレだから」というような雑な思い付きで物事を進め、結局上手くいかず、ダサい景観の村や変なオフィスができていたかもしれない。というか、実際にそういう村や企業も少なからず存在しそうだ。
結局、元々のセンスがないと部屋作りはうまくいかないのだろうと、このオシャレな友人を見て思う。「センスは金で買えない」とはよく言ったもので、この友人だって特別お金に余裕があって良いものを手あたり次第に買ったりしているわけではない。生まれ持った・あるいは成長の過程で身に着けたセンスで、効率良く美しい部屋を作れているのだろう。私が今から友人の家や インスタなどで公開されているオシャレな家を参考にしたとしても、自分一人で部屋を作ると、「なんか違う」「中途半端で余計にダサい」という感じになる予感しかしない。
こうなればもう自分のセンスをどうこうするのではなく、次に引っ越すときには初めからインテリアコーディネーター的なプロに頼んで、指示された通りに家具を購入し、言われた通りに配置したい。自分のセンスは金で買えないが、センスのある人を買うことはできる。やはり金だ。
欲しいひみつ道具の話
先日、電車の中で男性二人組が話をしているのが耳に入った。内容は「ドラえもんのひみつ道具を一つもらえるとしたら何が良いか」という、日本人の大半が一度は考えたことのあるようなものであった。
私も幼い頃に何度かこの話を友人としたことがある。大抵の場合「とりよせバッグ」(知らない人のために一応解説しておくと、どんな物でも、つまりどんなひみつ道具でも「とりよせ」できてしまうチートアイテムだ)に落ち着いてしまうのだが、私はどうも昔からこの手の空想話を真剣に考察したり議論したりするのが好きなようで、悪趣味だと思いながらもこの二人の男性の話につい耳を傾けてしまった。
一方の男性が選んだのは「スモールライト」だった。彼がそれらを選んだ理由はこうだ。「スモールライトで自分が小さくなることで、どんな場所でも絶対人に気づかれずに侵入できる。タダでどんな場所にも入り放題だし、食べ物だって相対的に大きくなるから少量で満腹になって節約できる」
なんだか微笑ましい考えだ。「人に気づかれずに侵入」に関して言えば、透明人間になれる道具や人の盲点に入って意識されなくなる道具が確かあったので、そちらの方が便利な気がするが、後半は良い考えかもしれない。
そういえばスモールライトで小さくなったあとはどうやって戻るんだろう?と思ったが、スモールライトには解除機能もついており、また時間が経つと効果が切れて元の大きさに戻るらしい。
もう一方の男性は「どこでもドア」を選んでいた。彼はどうやら毎朝満員電車に揺られて出社し、炎天下や寒空の中外回りを強いられている営業マンらしく、「とにかく早く移動したい」「ギリギリまで寝ていたい」「時間がない中で旅行を楽しめる」という理由でのセレクトだった。どこでもドアはひみつ道具の中でも主役的存在だが、欲しい理由がなんだか切ない。
そもそもドラえもんの道具をもらえるなら、仕事自体をしなくていい状況を作り出せるアイテムを望めば良いし、最初の彼の方にしても大金を手にできるとか、もっと根本的に願いを叶えられる道具があるとは思うのだが、あくまでも現実を忘れない・忘れられないのは大人らしいと言えるかもしれない。そしてこういう中途半端に現実的な点こそ、空想話の醍醐味だと私は思っている。
ところで、どこでもドアというと昔から思っていることが一つある。それは「タイムマシン、どこでもドアの上位互換説」である。
つまりどういうことかというと、知っての通り どこでもドアは好きな場所に瞬間移動ができる道具、タイムマシンは過去でも未来でも好きな時代に移動できる道具と認識されている。しかしタイムマシンでは 例えば2021年の日本にいる人間が中世のフランスに行くなど、時だけでなく場所も移動できるのではなかっただろうか。私はドラえもんにそこまで詳しいわけではないので、もしできなければこの話は終わりなのだが、場所移動もできるのだとしたら、例えば「1秒前のフランス」などと時差を限りなく小さく指定すれば、実質どこでもドアとして使えるのではないかということだ。
もっともドラえもんの道具自体、ピンポイントすぎる用途のものも多いし、子供の頃アニメを見ていて「この状況ならわざわざ新道具出さなくてもあの道具使えばいいじゃん」と思うようなことも結構あったので、タイムマシンと どこでもドアについても同じことが言えるのだが、1回登場したきりもうほとんど出てこないようないわばモブ道具ならともかく、知名度も能力もずば抜けたこの2つの性能が似通っているのはいかがなものだろうか。
ということで、タイムマシンで時間+場所移動できるという前提で、似たような性能の道具(どこでもドア)が存在する理由として今ぱっと思いついたのは以下の2つだ。
説1:タイムマシンで移動できる時間の範囲は最短でも±1日などと決まっており、時差をほぼなくして移動することはできない。そのためリアルタイムでの移動の際にはどこでもドア(あるいはワープホールなど)の方がふさわしい。
説2:タイムマシンは確かにどこでもドアの上位互換だが、未来デパートにおいてタイムマシンは非常に高価、あるいはタイムパトロールなどの存在がある以上、タイムマシンを使うには何か申請や許可のようなものが必要であるため、どこでもドアという時間移動機能なしの道具の需要が高い。
説1に関しては、我ながらなかなか説得力のある説だと思うが、かすかな記憶をたどると、のび太の宿題か何かを手伝うために数時間後のドラえもんをタイムマシンで連れてくるというような話があったような気がする。つまり割と近い時差を行き来することも可能なのではないだろうか。
一方説2に関しても、確かに実際現在タイムマシンとどこでもドアという商品があったとして、タイムマシンを使うためには相当のコストがかかるのだとしたら、とりあえずどこでもドア買おう、となると思う。現実世界で言うところの「通学用にバイクは高いから、とりあえず今使う用の安い自転車を買おう」というのと同じかもしれない。
しかし、問題はドラえもんがタイムマシンを持っていることがこの説の致命的な欠点だと思う。ドラえもんが22世紀においても特別裕福という描写は覚えている限りない。むしろドラえもんが何か道具を取り出して「未来デパートでこの道具を買って高かった」などと言うことも何度かあったような気がする。そしてタイムマシンの使用についても、特にややこしい手続きを踏んだりする描写もなくバンバン利用しているように見える。
……と、ここまでの文章を2019年くらいにはこのブログ用に書いていたのだが、特に続きが思いつかずに放置してしまっていた。つまり冒頭のサラリーマン風男性2人組の会話を聞いたのも随分前のことである。どこでもドアを欲しがっていた彼も、今は外回りなどしていないかもしれない。
そんな下書きを発掘してきて、せっかくだし加筆修正して公開しようと思ったのだが、過去に思いつかなかったものは数年経ってもやはり思いつかず、かといってお蔵入りにするのもなんとなく惜しい気がするので、潔く中途半端な状態で公開することにした。そうまでして公共の場に流したい文章でもないが、どうせ公開したところで誰も読まないのだから好きにしようではないか。
……と、ここまでもまた2021年に書いていたようだが、現在2023年7月まで公開していなかった。というか書いたことを忘れていた。(中盤のタイムマシンの説明の中で「2021年日本から中世フランスへ~」と書いているのは、2021年に修正したからだと思う)
あまり共感は得られない気もするが、私は私の書いた文章が結構好きなので、このブログの過去の記事にしろ、某所で公開している創作小説にしろ、度々自分で読み返しては「分かる~!解釈一致!」などと思っている。さすがに高校時代やそれ以前に書いた文章などは、今とは考えが違うのが分かっているため読む気にもならないが、大学生以降に書いた文章は恐らく今書いても同じようなものになるだろう。成長していないともとれるが、ここはポジティブに「軸を持っている」と捉えておきたい。
ちなみに今、私が欲しいドラえもんのひみつ道具は「スペアポケット」だ。これは子供の頃この話題になると「スペアポケットは空なので他のひみつ道具が使えるわけじゃありませーん!」と言われる代物だったが、私は他の道具は別に要らないので、単に大容量収納グッズとして欲しいなと思っている。外出時の荷物を増やしたくないし、部屋で置き場に困っているものをとりあえずスペアポケットに入れておきたい。私もまた冒頭のサラリーマン男性同様、中途半端に現実的な大人になってしまった。
名は体を表すとは言うが
8月1日、M-1グランプリ2022が開幕した。少し前からお笑いについて書くことが増えているのでお気づきかと思うが、ここ数年で私は結構なお笑いファンになっている。
元々子供の頃から「エンタの神様」や「爆笑レッドカーペット」などのネタ番組や、「はねるのトびら」などのコント番組は毎週楽しみに観てお気に入りの芸人もいたし、M-1をはじめとする賞レースも一応毎年見ていたので お笑い自体は好きだったのだが、ここ数年は賞レース(特にM-1)に挑戦する芸人たちを、スポーツの大会を楽しむようにある種の緊張感を持って見ている。
ひょんなことからハマったコンビの片方が熱狂的M-1オタクで、それに影響されたというのも理由の一つだが、元々スポ根系漫画などもこう見えて(?)好きなので、私のように「特定のスポーツそのものが好きというわけではないが、スポーツ観戦やスポ根漫画は楽しめる」というような人間はハマりやすいジャンルじゃないかと思う。
ちなみに数年前から私が一番応援しているのはカベポスターというコンビで、去年・一昨年とM-1の準決勝まで進出しており、お笑いファンの間では既に実力派として有名だが、世間一般的にはまだそこまで知られていないと思う。そんなカベポスターだが、今年は関西の若手向け賞レース2つで優勝しており、今まさに「キている」コンビである。今年こそM-1決勝進出!と多くのファンは思っているが、私は同時にこれ以上人気が出てしまうのを寂しく思う気持ちもある。そんな超無名時代からの古参ファンでもないくせに図々しい……とも我ながら思うのだが、私はそういう人間である。
お笑い賞レースはスポーツと親和性が高いという話だが、当然ながら努力が実り成功する者ばかりでなく、いつまで経っても日が当たらない者もいるという点も同じである。
今年の3月、ジソンシンというコンビが解散した。恐らくジソンシンを知っている人は結構なお笑い好きだと思うのだが、私が彼らを初めて知ったのは妹と『探偵ナイトスクープ』の番組観覧に行ったときのことで、そこで前説をしていたのがジソンシンだった。正直、その後も私は彼らのネタはほぼ見ることはなく、特に応援していたわけでもないのだが、コンビ名だけは覚えていたため、解散したと知った時はなんとなく切ない気持ちになった。
今や売れっ子となった芸人が、売れてない時代の話をする中で「前のコンビを解散して~」などと言っているのはよく聞くが、あまり売れていない若手芸人の解散を知ると、その「前のコンビ」がこれなんだろうか……などと考えたりしてしまう。しかしそもそも解散後売れる人も一握りだろう。解散後それぞれ別の相方とコンビを組んで、現在どちらも売れているアインシュタイン河井さんとアキナ山名さんみたいなのは相当レアなパターンだと思う。
さて、随分前置きが長くなってしまったが、そんな元ジソンシンの酒井さんが数か月前に別の芸人と「若葉のころ」というコンビを新たに結成したらしい。正直なところ「ふぅん」としか思わなかったのだが、酒井さんが新コンビ結成を報告するツイートに、興味深い反応を示していた人がいた。
こう書くと有名人か何かがコメントしていたのかと思われるかもしれないが、そういうわけではなく、ただの一般人らしき全然知らない人のツイートなのだが、「『若葉のころ』って、Kinki kids主演のドラマタイトルですよね。あのドラマのファンなのでやめてください。繊細で切ない物語なのに、芸人の名前に使われるのは雰囲気壊されて嫌です」(要約)というものがあった。
『若葉のころ』というドラマは知らなかったのだが、同様に作品タイトルを付けている有名な例だと『さらば青春の光』などがあるが、これに関してはもはや芸人の方が有名かもしれない。(偉そうに書いているが、私も映画の方の『さらば青春の光』は全く観たことはない。)
余談も余談だが、昔友人4人でUSJのハロウィンイベントに行った際、友人の一人が映画好きで、映画『さらば青春の光』の主人公をイメージした格好をして来ていたのだが、クルーさんに「(踊る大捜査線の)青島刑事ですよね!」と言われていた。確かに言われなきゃ私もそっちだと思いそうだ。
話をコンビ名に戻すが、芸人のコンビ名は他の芸能人の芸名やグループ名と比べて固有名詞を使っているものが多く、芸人という仕事上その名前でふざけたこと・馬鹿馬鹿しいことをするため、他にも「失礼だからやめてくれ」と言われそうなものも多そうだ。
私がなんだかんだ未だに応援しているスーパーマラドーナは 旧コンビ名がマラドーナだが、サッカーファンの中には不快に思う人もいるかもしれないし(正直武智さんの度重なるやらかしを思うと、仮にいても文句は言えない気もする)、先に挙げたアインシュタインだって相対性理論のアインシュタインを馬鹿にしていると言う人もいるかもしれない。もっとも人名の場合はそもそも別のマラドーナさん、別のアインシュタインさんだって居るだろうから、作品名とはまたちょっと事情が違うかもしれないが。
例の「好きなドラマのタイトルだからやめてほしい」というツイートを見た最初の印象は「こわっ!何もそんな風に言わんでも!」という感じだったのだが、よくよく考えたら自分が好きなもの・思い入れのあるものの名前を簡単に(というのも一方的な判断でしかないのだけれど)芸名に使ってほしくない・茶化されたくないという気持ちは分からんでもない。
少し違うが、神話の登場人物なんかを検索すると、真っ先にアニメやゲームだかのキャラクターが出てくるのもなんかモヤる。別にそういう擬人化・美少女化・イケメン化的作品が悪いわけではないし、私も(内容にもよるが)好きなのだが、普通に検索したときには出てこないでほしい。
芸人という仕事自体をコンテンツとして楽しむようになってから、コンビ名の由来も調べたりするのだが、そのコンビ名で売れる・売れないというだけでなく、こういう問題も出てくるよなと改めて感じている。せめてその由来となった作品なり人物なりのイメージに泥を塗らないような活躍をしてほしいなと思いつつ、さらばのブクロさんは恐らくかなり泥を塗っているが、なんだかんだで世間から愛されているので凄いなと感じている。
ありがとう亀山薫
『相棒』シリーズ5代目相棒として亀山薫(寺脇康文)が復帰するというニュースが今朝発表された。
このニュースにファンはもちろん、それ以外の人も驚愕し、Twitterでは「相棒」「亀山」などというワードがトレンド入りを果たしている。私は通勤途中にLINEをチェックしていると、相棒公式アカウントから通知が入り、なんだろうなと何気なく開いたらこのニュースである。思わず満員電車の中で声を上げるところだった。
以前冠城亘卒業が発表された際には、次期相棒がどうなるのか不安だということを書いたが、結果的に予想を大きく裏切られたわけだ。もちろん良い方向に。
いや、予想を裏切られたというのもまた少し違う。前々から亀山くんが帰ってきてくれたら良いのになとは思っていたし、ここ数年では特命係に亀(本物、turtleの亀)がやってきて亀山くんの永遠の相方(?)伊丹が「特命係に亀……」と言ったり、初期シーズンの名物キャラで亀山くんとも仲の良かったゲイバーの店主・ヒロコママが久々に登場し、亀山くんの名前を出したりと、亀山くんの存在を匂わせる演出が続いており、私を含め相棒ファンは亀山くんの再登場を期待しつつも、まあそれは無理だろうなとある種夢物語・オタクの妄想だと思っていた。
そんな中での満を持しての亀山くん相棒復帰!!本当に現実の話か!?と思ったのは私だけではないだろう。
こんなに相棒オタクをやっておいてなんだが、(私の年齢的に仕方がない部分もあるとはいえ)私が相棒をリアルタイムで観始めたのは相棒が及川光博さん演じる神戸くんに変わった2009年season8からで、亀山くん時代は全て再放送で観ていた。つまり、リアルタイムで亀山くんを観るのは2022年10月が最初になるのだ。
とはいえ、14年間再放送を何度も何度も観てきたのだから、その辺の相棒ファンには負けないと思っている(何が?)
あの体力バカでお人よしで、変人で友達のいなかった右京さんに真正面からぶつかって、友好関係を築き上げ、そして去っていった亀山薫が帰ってくる。あの頃の亀山くんがそのまま戻ってくるのではなく(それはそれで良いと思うけれど)、14年間サルウィンで活動した亀山くんが右京さんと再会して何を話すんだろう……なんかまだ始まってもないのに想像しただけで泣きそうである。
14年ぶりに帰国したら、捜査一課の三浦さんや米沢さんがいなくなり、花の里も閉店して、刑事部長が別人のようになっていているのを見て時代の流れに驚くシーンも見たいし、その後で、14年前に最後まで悪態をつきながら別れたもう一人の相棒・伊丹の全く変わらない姿を見て当時と同じようにケンカしてほしい。
ちなみに相棒をあまり知らない人への補足だが、相棒では作中での時間の流れが現実での時間とほぼイコールになっているため、作中でもちゃんと「14年ぶりに帰ってきた」亀山くんとして登場してくれるのだ。改めて相棒という作品の凄さを感じられる。
そして、この亀山くん復帰という衝撃発表を聞いて「終わりの始まり」を意識せざるを得ないとも感じている。
『相棒』に限った話ではないが、「最初の相棒と時を経て再会する」なんて長編作品の最終回の典型例じゃないか。
ところで相棒をあまり熱心に観ていたわけではない人の中には「初期の頃から比べて、右京さんのキャラ変わりすぎ」と言う人もいるが、それは当然である。『相棒』は「相棒」を通じた杉下右京という一人の人間の成長物語だ。亀山薫との出会いをきっかけに、神戸尊、甲斐享、冠城亘と関わっていくことで慇懃無礼で頭の固い杉下右京が変わっていく。
特に「正義とは何か」「正しさとは何か」というのは『相棒』シリーズの一つの大きなテーマでもあったが、相棒や事件関係者に対する右京さんの言動を見ていると、彼の考えにも変化があったことがうかがえる。亀山くんとの再会は、右京さんがこの20年以上の時間の中で多くの出会いと別れを繰り返し、彼の「正義」について結論を出す時間なのかもしれない。
歴代の相棒も総出演で右京さんのピンチを救うなどしてくれたら最高だ。いつかは必ず終わるのならば、美しい形で幕を閉じてほしいものである。
以前も書いた通り、これが私の理想の『相棒』最終回だが、その第一歩が予想外にも叶ったのだ。喜ばしい反面、いざ終わりを意識するとやはり悲しい。人生の約半分を共に過ごしてきたのが『相棒』なのだから当然と言えば当然だが、まだ始まってもいないのにこんなにいろんな感情が溢れてしまう。
何はともあれ、10月のseason22放送まで残り4か月ほど。万全の体制で視聴できるように整えておかねば。
