ОГУРЕЦ

キュウリ美味しいね。

絵馬に願いを

 タイトルはSound Horizon、通称サンホラというアーティストのアルバム名をちょっと変えて拝借しているが、今回はサンホラのことは全く関係ない。なおサンホラは、一般的にはアニメ『進撃の巨人』のOP曲で知られているRevo氏が主宰を務めるグループだが、そんなことはこのブログを読んでいるような人なら私よりもよく知っているだろう。もし知らなければ一度ググって聴いてみてください。ちなみに私はサンホラのにわかファンを15年やっているが「聖戦のイベリア」というアルバムが好きだ。

 さて、絵馬といえば神社に飾られている願い事を書くものだが、私は神社を訪れた際に他人が書いた絵馬を結構読んでしまうタイプである。悪趣味だという自覚はあるのだが、一つが目に入ってしまうと、そこから隣の絵馬を、その隣を……とじっくり読んでしまうのだ。

 先日出張で東京に行った際、時間ができたので明治神宮に行ってみた。幼い頃に一度行ったきりなので、もはや初参拝と言ってもよい明治神宮は意外にも人が少なく、GW前のきつい日差しと原宿の人混みから逃れられるオアシスのような場所だった。
 そんな明治神宮の絵馬に書かれた内容だが、やはり多いのは合格祈願だ。さすが東京の有名神社と言うべきか、「東京大学理Ⅲ 絶対合格」など、思わずおおっと声が出るようなものも幾つか見かけた。一方、地方の小さな神社だと「〇〇高校 合格」など、聞いたことのない学校名が書いてあることも多く、それはそれでなんだか趣深い。少し話はずれるが同じような理由で、出張先や旅行先(特に田舎の方)の塾に貼りだされている「〇〇高校 ××名合格」という貼り紙を見て「この地域では〇〇高校が進学校なのか」などと考えてしまう。
 あとは安産祈願や、恋愛系、子供が書いた「家族仲良く暮らせますように」とか「お金持ちになりたい」というような、ありきたりだが微笑ましいものが並んでいる。

 そんな中、全体の数こそ少ないものの、女性らしい字で書かれた「〇〇(アイドルグループ)のライブチケット絶対に取れますように」や「〇〇くん(アイドルか何か)がもっと活躍できますように」などといった「推し活系」の絵馬がここ数年でよく目につくようになった。この手の願い事を見るたび私は「そんな、絵馬に書いてまで願うことなのか……?」と驚いてしまう。
 もちろん人の願い事なんて自由だし、それに口出しをしたいわけではない。ただ勝手なイメージだが、例えばショッピングセンターのイベントスペースなどで催されているボードに貼り付ける絵馬風のメモや、あるいは七夕に用意された棚に括り付ける短冊と比べると、神社の絵馬は「本気」の願い事という感じがする。
 別に神聖なものだからどうという話ではなく、1000円程度はするであろう木の絵馬を買って油性マジックで書く、そして他の参拝者の目にも入るとなると なかなか失敗もしづらいし、私ならそんな気軽に書けないと思う。恐らくこれも以前書いた私のケチな性格が出ているのだと思う。

 しかし、推し活系願い事を絵馬に書くタイプの人も、決して絵馬記入に対する心理的ハードルが低いわけではなく、彼女(彼)にとっては合格祈願と同じくらい重要なのかもしれない。
 私は人生で一度もアイドルなどの芸能人に興味を持ったことがなく、強いて現在推しと言える存在があるとすれば何組かのお笑い芸人だ。しかし、数回程度だがライブに行ったり配信を見たり、M-1等の賞レースでの活躍を応援して一喜一憂はするものの(この頃と比べるとだいぶお笑いファンに近づいたと思う)、赤の他人である芸人たちのために祈ろうとは思えない。多分神社の絵馬どころかイオンの七夕飾りにすら書かない。薄情な女である。

 一方で推し活絵馬の彼女(彼)たちは、願いが叶ったところで認知されるかすら怪しい上、自分には1円も入らないのに赤の他人のことを祈れるのだ。もはや人間としての格が違う。嫌味に聞こえたら申し訳ないが、決してそんなことはなく、本気でそう思うのだ。
 しかし恐らく彼女たちの多くは「別にそんな大したことはない」「推しの活躍が自分の幸せになるから願うだけで、そんな人格者ではない」と謙遜するのだろう。そしてそれもまた事実なのだろう。私もいつかここまで言えるくらい何かにハマってみたいものだ。今度神社に行ったときは「何か夢中になれるものが見つかりますように」とでも絵馬に書いてみるか。