ОГУРЕЦ

キュウリ美味しいね。

リアルの復活を祈って

 突然だが、私は文章を書くのが結構好きである。こんな2~3人読んでくれているかどうかも怪しい上に1円の得にもならないようなブログをわざわざ書いている以上、それなりに書くことが好きでなければおかしい。この自己満足ブログを始めたのは約4年前だが、文章を書くこと自体は物心ついた頃にはもう既に好きだったんじゃないかと思う。

 小学校高学年の頃には ありがちではあるがオリジナル小説(と言いながらも流行りの児童向け小説やマンガのパクリだった)を書いていたし、中学生になってからは自己投影バリバリのキャラクターを主人公にした小説を書いていた。これは今でも思い出したら死にたくなるぐらい恥ずかしい黒歴史だ。

 しかし、このような黒歴史を製造していく中で 次第に「私が好きなのは イチから作品を作ることじゃなくて、自分に起こった出来事や自分の考えを整理して(できれば他人に面白い・読みたいと思われるように)書くことじゃない?」と気づき始めた。きっかけというほどのものでもないが、あえてきっかけと言うならば「リアル」「ダイアリー」の存在は大きいかもしれない。この言葉だけですぐに何のことか分かる方がたくさんいるとは思えないので順を追って説明する。


 私が中高校生の頃はケータイホームページの全盛期だったと思っている。私の周りでの話ではあるが、中学生の頃は主にDQNやギャル系の人たちが ホームページ作成サイトで作ったドギツイ背景色の個人サイトを毎日のように更新していた。コンテンツとしては簡単な自己紹介(かの有名な前略プロフィールとほぼ同じような内容)と、BBS、日記、プリクラを載せるギャラリー、友人のケータイサイトへのリンクが多かったと記憶している。彼らの「日記」は大抵が「今日は朝起きて飯食ってから チャリでマキん家寄ってからイオンのゲーセンで今~」というような超雑なその日の5W1Hメモのような内容だった。

 正直まっっっったく面白くなかったが、これはきっと書いている人間が私のことを読者として想定していないからだ。全世界に公開されているサイトとはいえ、全世界どころか私のような仲良くもない同級生にすら見られているという意識はなかったであろう。公開対象はあくまでも親しい友人、強いて言うならその友人の友人程度だ。そして彼らの目的は「親しい友人に自分の今日の出来事を報告すること」であって、別に面白い文章を書こうという気はさらさらなかったであろう。
 彼らの「日記」は今で言うインスタのストーリーに近いのではないか。当時インスタがあったとしたら確実にそっちを使っていただろう。

 また、カップルは「山田夫婦」「Tanaka fam」などというカップル共同のホームページを作るのも定番だった(山田や田中は勿論仮名で、大抵は男側の名字が入っていた)。内容は上記と殆ど変わらず、ただ単に管理人がカップル二人になり、ギャラリーにはカップルで撮ったプリクラばかりが投稿されていただけだ。
 強いて面白かったと言えば、カップルが破局した際にトップページに「〇月×日 ダイチとマイはお互い別々の道を進むことになりました。今まで応援してくれた皆さんありがとうございました」(名前は仮名です)などといった声明が出されることである。いや誰やねん!全ての閲覧者が画面に向かってツッコミを入れていたと思う。

 高校生になってからは、周りは品行方正な優等生ばかりで 中学時代のようなDQNはいなくなったが、そういった環境でも個人ホームページは流行していた。ただし内容は大きく変わったように思う。たかだか3年とはいえ時代が変わったこともあるのか、多くの人は同じホームページ作成サイトを使ってはいたものの、背景色やフォントを変えたり、オシャレなフリー素材を使うなどデザインにこだわる人が増え、またネットの怖さを理解しているのか そもそも撮る人が少なかったのかは分からないが、プリクラなどを公開する人は私の見る限りいなかったと思う。

 そして何より変わったのが、文章の質である。ここでようやく「リアル」「ダイアリー」の話に移る。「リアル」「ダイアリー」はどちらも管理人が自由に書く日記のようなものであるが、両者の違いとしては「リアル」は比較的短文でその日の出来事や思ったことをざっくばらんに書く場であり、多い人ではほぼ毎日投稿していた。今で言うTwitterが近いかもしれない。一方「ダイアリー」はその名の通り日記だが、更新頻度は「リアル」より格段に落ちるものの、その代わり長文を書く人が多かった。私が今こうして書いているブログと同じようなものだ。

 高校の同級生たちの「リアル」「ダイアリー」は中学の同級生らのそれと異なり、なんとなくだが他人に読ませることを意識して書いているようなものが多かったと思う。それは頭の良い人が多かったからか、単に年齢が上がったからなのかは分からないが、単にその日の出来事を書いているだけでも、大して仲良くもない知り合い程度の人の文章でも面白いと感じることが多くなった。たかが素人の高校生の自己満足エッセイとはいえ、いや素人の自己満足エッセイだからこそ、その中でも特に文章が上手いもの、面白いものは(私の中で)目立っていたし、更新が楽しみだった。

 恥ずかしながら私も例に漏れず当時「リアル」「ダイアリー」を更新していたのだが、大して仲良くなかった同級生に「あなたの『リアル』読んだんだけど面白いね」と言われたときはとても嬉しかった。別にこの言葉そのものがきっかけではないが、「私は文章を書くのが好きなんだ」と自覚したのはこの頃で、今現在に至るまで自己満足の文章をこうやって書いている。

 また当時面白い「リアル」「ダイアリー」を書くなあと思っていた同級生のうち数人は 今でも仲良くしてもらっているのだが、彼女らは社会人となった今でもTwitterなどのSNSや個人ブログも開設し、「リアル」の時代と比べると頻度は落ちるものの時々更新しており、私は密かにこれをとても楽しみにしている。彼女たちにも、もしかしたら私のような経験があるのかもしれない。

 それから大学生になり、それも卒業し社会人となった今は、あまりこういう文字書き活動をする人が(上記の友人を除き)周りからいなくなった。多くの人はインスタで写真中心にあっさりとした近況報告のようなものをしている。それはそれで勿論興味深いが、やっぱり私は他人の書いた“リアルな文章”を読むのが好きなのである。誰に宛てるわけでもなく、自己満足で思ったこと・感じたことを書く場、しかしTwitterほどリアルタイムでのとりとめのない感情の発露・独り言ではなく、ある程度推敲され整理され内心「誰かに読んでもらえてたら良いな」くらいの気持ちはある場――それが「リアル」だったように思う。懐古趣味丸出しだが、そんな「リアル」がまた見たいなと私は思っている。