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キュウリ美味しいね。

DQNネームとロシアンネーム

ロシアで「変な名前禁止法」なるものが制定されたというニュースは記憶に新しいが、それでもやはりロシア人の名前は昔ながらのものが多く、レパートリーもかなり少ないように見受ける。

先日ロシアの書店をいくつか回ったところ、大体どのお店でも「アントンへ 誕生日おめでとう」「アナスタシアへ 結婚おめでとう」などと、最初から名前の入ったグリーティングカードがたくさん売られていた。

そういえば、日本でも昔は「ゆうこちゃん」「あいちゃん」「けんたくん」「たくやくん」などと名前の入った子供向けのキーホルダーが観光地のお土産屋さんなどにたくさんあったが、こういった商品はもう殆ど見かけないように思う。

今は俗に言うDQNネームやキラキラネームといったオリジナリティー溢れる"珍名"が増え、「ゆうこ」や「けんた」を大量生産したところでかつてほど売れないのかもしれない。

"珍名"に関しては、子供をペットのように扱っている、成長してもその名前では恥ずかしい、親の無教養を晒している……等々否定的な意見が多く、私もこういった意見には賛同する。

しかしその一方で、子供に珍名をつける人達の「我が子だけの特別な名前をつけたい」つまり「他人とかぶらない名前をつけたい」という気持ちに関しては私は強く否定できない。

私を知っている人ならご存知だろうが、私の氏名はまあ ありきたりなものだ。名字は全国名字ランキング50位以内に入り、名前は音も普通だし漢字もレパートリーが少なく、その中でも私は最もオーソドックスなタイプの漢字だ。フルネームを一発変換でも正しく出せるような名前と言えば分かりやすいだろうか。
そんなありきたりネームの私は 今でこそ この名前が好きだが、中学時代は本気で改名したいと考えるくらい嫌いだった。

その理由は、読みも漢字も全く同じ同姓同名の同級生の存在である。ありふれた名字にありふれた名前なのは確かだ。日本に、いや県内だけでも何十人何百人といてもおかしくない名前だ。しかしなにも小さな田舎町の小さな学校のせいぜい200人弱しかいない同級生の中にピンポイントで同姓同名が存在することはないじゃないか。

当然その子とはクラスは離され、タイプも違った(私が文化部の真面目優等生だったのに対して彼女は運動部の活発な子だった)ため 彼女本人との接点はほぼゼロだったが、先生や同級生たちに いちいち「○○部の方」とか「△組の方」といった枕詞をつけて呼ばれることになんだかモヤモヤしていた。

私にとって私の名前は自分ただ一人を表すものでしかないはずなのに、同じ名前の別の存在がすぐ近くにあることにまず違和感があったし、属性で限定され区別されるのは当時の私には「赤い方のペン」「青い方のペン」と区別するのと同じように感じていた。私は他の人とは違い、「ペン」のような一般名詞=世界中どこにでもあるありふれた特別でないものだと言われているように思えた。

また教師の中には同姓同名の生徒が同じ学年にいることを珍しがって、「▲組にも同じ名前がいるぞ!凄いな~!」などと皆の前で言う人もいたが、正直言って「何が面白いんだ」という気持ちしかなく、言われる度に露骨に嫌な顔をしてしまっていた。
悪気はないのは分かっているし、呼び方にしても、名字かぶり・名前かぶりだけなら色々と方法があっただろうが、いかんせん名字 名前 漢字全て同じなのだからそうするしか他に方法はない。逆の立場なら私だってそうしていただろう。

さきほど自分の名前について、当時は「改名したいほど嫌いだった」と書いたが、正確には違う。自分の名前は一貫して好きではあったが、私以外の人間とかぶったことを私は「他人に奪われた」風に思ってしまっていた。今まで私の名前は私だけを示すものとして生きてきたのに、突然現れた他人が全く同じ名前を名乗り、当たり前のようにすぐ近くで生活している。この違和感を解消するために唯一私だけを示す別の新しい名前が欲しかったのだ。

同姓同名の彼女とはそのまま接点もなく卒業し、現在に至るまで「私と同じ名前の他人」「私じゃない方」という認識しかしていない。おそらく、お互いに。ただ彼女も当時私と同じようなものを感じていたのだろうか。それは少し聞いてみたい。

話を昨今の珍名ブームに戻すが、「子供には他の子とかぶらない名前をつけたい」と思う親の中には 過去に私のようなモヤモヤを経験したことのある人も少なくないのかもしれない。自分の子供には自分専用の特別な名前をあげたい。そんな風に考えるのはいけないことだろうか。そして他人とかぶらない名前を、と考えると奇をてらったものになるのも仕方ないことかもしれない。

もちろん他人がすぐ読めない名前では生活をする上で不便だし、人間につけるには不向きな名前は本人のためにも付けるべきではない。ヘンテコな名前を付けられ それを一生背負うくらいなら、たかだか数年同姓同名が同級生にいる方が断然マシだろう。

ところで 私は同姓同名に悩んでいた頃、しょぼいイラストサイトを運営して同年代のお絵描き仲間と交流していたのだが、そこでのHNは「西園寺麗華(仮)」という憧れのゴージャスネームだった。
その仲間内では西園寺麗華がすなわち私であり、決して「○○な方」とは呼ばれない。ただそれだけのことが、とても心地よかった。

それから3年も経った頃、「大金持ちの令嬢でもない私が西園寺麗華はないわ(笑)」などと感じて、私は西園寺麗華を引退した。しかし本当の理由は、痛さに気付いたというよりもむしろ 中学を卒業し同姓同名がいなくなって「○○な方」などと呼ばれなくなったことが大きいと思う。
今、西園寺麗華を名乗っていたことを思い出すと少し恥ずかしくなるが、もしこの西園寺麗華がなければ 中学時代の私は同姓同名というどうしようもないものにもっとイライラしていただろうし、もしかしたら結婚して子供を産んだときに誰ともかぶらないような"珍名"をつけていたかもしれない。

私が思うに、人にはある程度 自分の好きな名で呼ばれる場が必要なのかもしれない。幸いネット社会の進んだ今は「西園寺麗華」でも「†暗黒の騎士†」でも外国人風の名前でもなんでも好きな名前を名乗れる。
好きな名前で生活してみた結果、私のようにこれを本名として生活するには合わないだろうと思うこともあるだろう。飛躍しすぎかもしれないが、それで子供に妙な名前をつけることを防げる可能性もある。

ちなみにロシアの大学ではロシアンネーム、つまり本名とは別に 自分で選んだロシア人風の名前を名乗る外国人留学生も少なくないようだ。
私のクラスメートの中国人・韓国人の多くはロシアンネームを持っていて、皆それぞれ普段からナージャ、リーナ、ミーシャ、トーリャなどと名乗っている(余談だが、彼らの本名が王ナントカ や 金ナントカ だと知ったときはなんだか不思議な気分になった)。
正式な手続きなどの時は本名を使わなければならないが、友達同士や学校でくらいなら十分ロシアンネームで過ごせるし、先生もそれで呼んでくれる。ロシア人にとっても耳慣れない・発音しにくい外国人(特にアジア人)の名前よりもロシア風の名前の方が呼びやすいのだろう。

私の知る限り日本人でロシアンネームを使っている人はいないが、ロシア人に「ロシアンネームはないの?」と聞かれたこともあるので、日本人がロシアンネームを使っても別におかしくはないのだろう。
結局私はロシアンネームを使わずに 本名で呼んでもらっているが、せっかくなら使ってみても良かったなと思っている。ちなみに今さらだが私がロシアンネームを使うなら「スヴェトラーナ」がいいな。

外国人風の名前に憧れている人は、子供に無理矢理の当て字でつけてしまう前に、一度ロシアでロシアンネームを名乗ってみるのも良いかもしれない。