ОГУРЕЦ

キュウリ美味しいね。

秋?冬?の夜長に 無料公開漫画のススメ

ここ数年の私の趣味は無料公開漫画を読むことである。元々漫画はどちらかと言えば好きな方ではあったが、漫画雑誌を読まないので、新しい作品への入口は ドラマやアニメに興味を持ちその原作漫画も読むか 他人の勧めがほとんどだった。ちなみに書店で表紙やあらすじを見て買うというのは、小説を買う場合にはほぼ毎回やるのに、漫画の場合は何故かよほどこれはアタリだと思えない限りできない。
そんな私にとって、お試しでいくらか読ませてもらえる漫画サイトの存在は非常にありがたい。普通に書店で売られていたら、何の興味も持たずスルーしていたであろう作品にいくつも触れることができ、今まで全く読まなかったジャンルでも意外と面白いと知ることができた。
とはいえ私は結構なケチなので、いくら面白いと思っても課金をして続きを読んだことはない。と言うのも、こうした漫画サイトでは数は少ないものの全巻無料で公開している作品もいくつかあるので、それを読むだけでも十分楽しめるのだ。漫画サイトにとっては迷惑な客である。
漫画サイトにも色々あるが、私はスキマを贔屓にしている。正直あまり知名度はなさそう(失礼)だが、私の印象ではここが一番無料公開作品が多い。
前置きが随分長くなったが、今回はそんな卑しい私が読んで気に入った全巻無料公開漫画をいくつか紹介していこうと思う。なお順番に特に意味はない。
※私が読んだ当時 無料公開されていただけで、無料期間が終了していたらすみません。


『おいらん姐さん』鈴木あつむ
吉原の遊女見習い・禿(かむろ)のなみじを語り手に、「地獄太夫」の異名を持つドS花魁・橋立と吉原の日常を描いた大江戸人情ロマン漫画。
舞台が遊郭なので当然性的描写もあるにはあるけれど、そういった部分よりも遊郭のシステムや当時の人々の生活などの説明が多く、ストーリーも基本的に1~2話完結の人情コメディなので性的描写が苦手な私でもサクッと楽しく読めた。説明も分かりやすくなかなか勉強になる。個人的に料理上手な遊女とデブ専侍の話が好き。欲を言うなら、終わりが唐突だったのでもうちょっと続きが読みたい。
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『女医レイカ嶺岸信明剣名舞
誰もが心に闇を抱える現代社会。氷の女と呼ばれる精神科医・氷室レイカがそんな現代人が引き起こす事件を精神科医としての立場から解決していくサスペンス。
絵柄もストーリーも暗い雰囲気で、はじめは取っつきにくいかもしれないが、どんどん引き込まれていく。
作中で登場する症状はド素人の私でも知っているようなものも多く、さほど専門的な話も出てこないので、こういった分野にあまり興味のない人でもサクサク読めると思う。
また主人公レイカ先生のブレないところも魅力のひとつ。主人公に変にラブロマンスを取り入れないところが個人的には好み。
現代に生きる心の闇を抱えた人間の一人として、患者に共感したり一歩間違えればこうなるかも……と思ったり、色々考えさせられる作品。
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美容外科医 山田美人』さかたのり子
容姿に様々なコンプレックスを持つ人達が整形外科医・山田美人(やまだよしひと)の施術によって理想の姿に大変身するが……?
顔を変えることで自信を持てる、一方で容姿が全てではないというメッセージのある「いい話」が基本。整形漫画にありがちな(?)、ドロドロ復讐ものや整形依存のバッドエンドものではないので安心して読める。
「いくら整形でもここまで上手いこと変わるわけないだろ笑」というツッコミ所はあるけれど、そこは漫画なのであしからず。
個人的に好きなのは、歳をとってから二重にしたおばあちゃんの話と 不細工で女性に縁のなかった男性がイケメンになり途端にモテる話。
自分がするしないは別として、美容整形にとにかく否定的なイメージを持っている人こそぜひ読んでみてほしい作品。
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『爺さんと僕の事件帖』しかくの
施設育ちの11歳中寺逸実は祖父の逸樹と二人暮らし。無口で不愛想だが頭の切れる祖父と個性的なクラスメートたちと一緒に近所や学校で起こった事件を解決していく日常系ミステリ漫画。
口コミには「コナンのような子供向けの漫画」とあったが、私の印象では見た目も頭脳も子供な逸実たちがあたるにしては暗く重い話が多く、意外と小難しいのでじっくり真剣に読む作品。事件のトリック自体はさほど奇抜なものではないものの、逸実と祖父の微妙な関係やキャラクターの心情に注目すると心が痛んだり考えさせられるものも。
古い女性向け作品のような描写やがちらほらあるので、そこは好みが分かれると思うけれど、本筋とは関係ないのでそこが気にならなければ問題ない。
ちなみに私は学校のウサギが殺される話が色んな意味で面白くて気に入っている。
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『花板虹子』笠太郎
料亭・藤野家の板長として突如現れたのは冴えない女 虹子。しかしその正体は超絶技巧のカリスマ板前!女が板長なんてと嘲る人たちを前に虹子の超人的料理技術が炸裂。グルメと人情で二度美味しい物語。
かなり長いが、一気に読んでしまった。話はライバル・悪役が虹子との料理勝負を通じて改心し味方になる……というような王道展開ばかりだが、料理や食材の描写が良く、もっと美味しそうな料理を見てみたいと感じて読み進めてしまう。
普段ちゃんと料理なんてしないけれど、読了後はちょっと和食を作ってみたくなる。
ちなみに同じ作者の『板前鬼政』も無料公開されているので読んでいる途中だ。
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喰いタン寺沢大介
ありえない食欲を持つ歴史小説家・高野聖也と助手の出水京子が、料理が絡んだ事件の謎を解くオムニバス漫画。
過去に東山紀之主演で実写ドラマ化されたので、それで知っている人も多いかもしれない。だが原作漫画とドラマでは設定や雰囲気がかなり異なるので、ドラマを観ていた人も新鮮な気持ちで楽しめると思う。
事件の内容は殺人事件から町内の子供のイタズラまで様々で、毎回登場する料理・食材も高級フレンチからカップ麺まで多岐にわたる。トリックには食材の特性が使われるため、その解説を読むごとにひとつ賢くなった気がするのも良い(何に使えるのかと言われれば答えに困るけれど)。作者の寺沢氏は物凄い知識の持ち主だなあと勝手に感心している。
同じ料理漫画でも『花板虹子』で登場するのが高級料亭の懐石料理であるのに対し、この『喰いタン』では家庭料理など手軽なものが多いのでより食べたいという気持ちが高まる。主人公高野の食べっぷりも合わせてまさに「飯テロ」作品。夜中に読むのはやめた方が良い。
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色々読んだつもりだったけれど、こうして書き出してみると意外と少ない。まだまだ私の知らない素敵な作品がたくさんあるので、ぜひ時間のあるときに読んでみてほしい。

お笑い素人によるお笑い語り

和牛というお笑いコンビがいる。お笑い界最大の賞レースであるM-1グランプリの決勝に複数回出場し、その度に視聴者たちからも優勝大本命と予想されるほどの実力派コンビである。私の周りにも彼らのファンは多く、私自身「実力もあり勢いもあるコンビ」だと思っている。思っているのだが、どうしても何かが好きになれない。

先に言っておくが、私は別にお笑いに詳しいわけでは全くない。有名な賞レースや「エンタの神様」をはじめとする有名番組は積極的に見てきたし、売れている芸人くらいは一通り知っているものの、テレビに出ていないような若手芸人を知っているわけでも、たくさんの芸人のネタを見ているわけでも、特定の芸人の大ファンで劇場に通ったりしているわけでもない。その程度の「ちょっとお笑いが好きな素人」の個人的な意見として読んでほしい。

話を和牛に戻すが、別に彼らのネタが面白くないと言っているのではない。むしろM-1 2017でのウエディングプランナーのネタはとても面白かったし、伏線回収の鮮やかさや 別の役に移るにあたり殆ど違和感を感じさせないのも見事だと感じた(偉そうなことを言ってるがほぼほぼ審査員コメントの受け売りである)。
しかし、同じくM-1 2017での彼らのもう一つのネタ(旅館)は、ウエディングプランナーほど素直に笑えなかった。内容としてはボケの水田さんが客を演じ、冷淡に旅館や女将に対してネチネチ批判していく。それに対してツッコミの川西さん演じる女将は表面上は終始ニコニコしつつも次第に客に対する不快感を露にしていく……といったものである(上手く説明できた気がしないので、知らない人はぜひ実際に見てほしい)。
ド素人の私の知る限りでは、この「川西さん(が演じる役)の言動を理屈っぽい水田さん(が演じる役)がネチネチ攻める」というのが彼らの基本スタイルのようだ。そしてこれこそが私が彼らをどうも好きになれない部分だと気付いた。

私は元より何にでも感情移入しやすい質だ。それは漫才・コントのような短時間のものでも同じで、例えば東京03がやるような"微妙にありそうなシチュエーション"のコントは、面白いという感情よりも前に「気まずい」「いたたまれない」「見てるこっちが恥ずかしい」という気持ちになることが多い。もっともこれは彼ら3人の演技力が非常に高い故であり、もしそれほどでなければここまで思うことはなかったかもしれない。(なお東京03のネタは大好きだ。)
話が少し逸れたが、和牛の場合も同じで、ネタ中の彼らがとても自然で、簡単に言うと水田さんを(実際の彼の性格などは全く知らないが)本当に性格悪い・怖い・そこまで言わんでもいいだろと感じてしまい、笑えないのだ。

それでもコント漫才(「俺は◯◯役やるからお前××役やってな」という形のもの)ではないものの場合はネチネチ漫才でもまだ耐えられる。「これが彼ら二人の関係性なんだろう」と思えるからだ。
しかし先の旅館ネタでは、"川西さんと水田さん"という二人の芸人としてではなく、"一般的な客と一般的な女将"という記号として見てしまうため、いくらネタと分かっていても「女将可哀想……」という感情が大きくなってしまう。
中でも「料理上手な彼氏に手料理を振る舞う彼女」というネタ(彼氏を喜ばせようと健気な彼女の気持ちなど完全無視で料理のミスを淡々と厳しく指摘する)は特に無理だった。終始「酷すぎる!はよ別れろ!彼女可哀想!!」としか思えなかった。

思い返してみれば私が好きなコンビはみんなボケが基本的に「アホで可愛い」タイプだ。歴代M1王者で言うと、銀シャリパンクブーブーサンドウィッチマンあたりが好きだ(実際可愛い可愛いと言われているのは鰻さんくらいだが、佐藤さんも富澤さんもにこやかなので広い意味で可愛いと私は思う)。

こう見るとやはりアホ可愛い方が万人受けするし評価されるのでは……?と思ったが、例のM-1 2017優勝のとろサーモンの久保田さんはふてぶてしいキャラだったので、何の説得力もなかった。

長々と書いたが最初に言った通り私はお笑いに関してはド素人であり、和牛に対しても散々書いたが決して彼らのアンチではない。ただ、世間での彼らの人気を見るに 私のように感じている人はそんなにいないんだなあと思ったのでこんな風に書いてみた。ぜひ彼らにはネチネチ漫才以外のネタもたくさんやってほしい。

A学園よ、永遠に

部屋の学習机の抽斗を開けると、五~六冊のノートが出てきた。未使用のまっさらなノート。表紙にはレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』や葛飾北斎の『富嶽三十六景』といった名画がプリントされている。

私がこのノートを手に入れたのは小学校高学年から中学校を卒業するまで通っていた学習塾だ。塾というとスーツを着た真面目そうな先生が教え、生徒もそれなりに勉強に意欲のある子供というイメージがあるが、私が通っていた塾は今思えば少し特殊なところだった。

私が通っていた塾、A学園は一学年20人程度(小学生のときは10人くらいだった)の個人経営のゆるい集団塾だった。
一応月に一回ある塾内テストの結果で、座席は1位から順に前から指定されたりはしたが、世間の「受験命!」みたいな進学塾と比べるとかなりのんびりしたところだったと言える。生徒はピンキリで、後に東大や京大に進むような秀才から とりあえず高校には進学させたいと親に入塾させられたようなヤンキーまで様々だった。
因みに私は当時ぶっちぎりのピンの方(ピンキリのピンとキリってどっちが良いんだろう?)で、常に1~3位くらいの席をウロウロしていたが、今となっては見る影もない。

先生は二人いたが、その一人はおじいちゃんだった。私が通っていた時点で既に70代だったと思う。そしてこのおじいちゃん先生の通称はミスター。ちなみに歴とした日本人だ。ミスターは齢70にしては元気で、一度塾生みんなを連れてUSJに行ったことさえあった。

またミスターはお茶目な老人で、生徒にはそれぞれテキトーなあだ名を付けて呼んでいた。「三木」という名字の生徒が三人いたが、それぞれミッキーマウスミッキーカーチス、ミッキールーニーと呼ばれていた。ちなみに私は同じ名字の歴史上の人物の名で呼ばれていた。大抵はそんな感じの名付けだったが、入塾して間もない、髪をスプレーでガチガチに固めて尖らせた、学校でも無口でクールな男子生徒を「ライオン丸」と呼んだときは思わずみんなが笑った。

そんなミスターの授業スタイルは、基本的には学校のそれとあまり変わらなかった。教科書を読んで説明しながら生徒を当てる。ただ説明や当て方が独特だった。説明する際に自作の妙な替え歌(年が年なので誰も知らないような選曲で、後に「懐かしのヒットソング」などの番組で原曲を聴いてこれは!と思ったものだ)をしてみたり、あまり面白くないダジャレを連発していた。

また生徒に質問するときは、竹刀を生徒の頭の上にかざし、不正解だと頭をコツンとしていた。当時も教師の体罰などは問題になっていたが、「コツン」は全く痛くなかったし、それが嫌な生徒や親はすぐに塾をやめただろう。もっとも私は大体きちんと答えられていたので「コツン」を受けたことは ほぼないのだが。
しかし、なんだかんだで塾生はこのミスターの授業のおかげで覚えられていたし、なんだかんだでミスターは好かれていた。前述したUSJ旅行にも多くの塾生が参加したし、バレンタインにチョコレートを渡す女子生徒もいた。

先生はもう一人いて、ジュニアと呼ばれていた。ジュニアはミスターの息子で、当時40代くらいのおじさんだった。
ジュニアの授業は、ミスターと比べると真面目で、生徒の多くはミスター派だったようだが、私はジュニアの方が好きだった。
その理由はジュニアがたまに開催するクイズ大会だった。
クイズ大会といっても大それたものではない。ジュニアは授業時間が少し余ると雑学クイズや難読漢字クイズ、「○○(部首)の漢字をできるだけたくさん書け」「花の名前をたくさん書け」……というようなちょっとしたゲームをやっていた。

こうしたゲームに対して私は普段のテスト以上に真剣で、ほぼ全てで優勝(と言うほどのものでもないが)していた。その賞品のひとつがはじめに書いた名画ノートである。名画ノートは賞品の中では一番良いもので、他にも鉛筆や消しゴムといった事務用品の余り物としか思えないものもたくさん貰った。
この余り物もとい賞品は 授業を行う教室の隣にある小さな事務室にあったもので、ミスターがよくその事務室でタバコを吸っていたため、賞品にもほんのりタバコの匂いがついていた。

そんな賞品と言えないレベルの賞品だったが、モノが欲しいわけではなくゲームに勝ちたいだけの私は 勝者の証であるタバコの匂いつき文房具を嬉しそうに受け取っていた。今にして思えば、私がほぼ常に優勝できたのは、そんな余り物しか貰えないのに必死になるのは馬鹿馬鹿しいと他の生徒たちは思っていたからかもしれない。
賞品になりそうな物が(余り物の文房具すら)ないときは、引換券を貰った。その引換券にはミスターの似顔絵が描かれていた。自分で描いたのか、あるいは過去に塾生が描いたのかは分からないが、なかなか上手く特徴をとらえている。

私は中学卒業と同時にA学園も卒業したが、入れ替わりで3つ下の妹が入塾した。ミスターとジュニアは時々妹に「お姉ちゃんは元気か?」とたずねていたらしい。そういえば私が塾生だったときも、「お兄ちゃんは元気か?」と訊かれていた生徒が何人かいた。A学園は地元のこぢんまりした塾ではあったが、地味に進学実績が良く、きょうだいで通っている家庭も多かったのだ。

そんなA学園が看板を下ろしたと知ったのはつい最近のことだ。妹が卒業してからはA学園との接点はなく、情報も聞かなかったのだが、数年前にミスターは亡くなり、ジュニア一人でしばらくやっていたものの手が回らず、ジュニアの息子(私の高校のひとつ下の後輩だった)も手伝っていたようだが、結局塾は畳んでしまったらしい。
最近A学園の教室があったビルの前を通ると、テナント募集の貼り紙があった。

私はA学園や先生が大好き!というわけではなく、どちらかと言うと冷めている方ではあったが、それでも5年間通った塾がなくなったというのはなんとなく物悲しい。何よりあんなに元気だったミスターがもういないということにあまり実感が湧かない。悲しいわけではないが、不思議な気分だ。

改めて例のノートを並べて、眺めてみる。ミスターのタバコの匂いは10年近く経った今ではさすがに消えていた。

DQNネームとロシアンネーム

ロシアで「変な名前禁止法」なるものが制定されたというニュースは記憶に新しいが、それでもやはりロシア人の名前は昔ながらのものが多く、レパートリーもかなり少ないように見受ける。

先日ロシアの書店をいくつか回ったところ、大体どのお店でも「アントンへ 誕生日おめでとう」「アナスタシアへ 結婚おめでとう」などと、最初から名前の入ったグリーティングカードがたくさん売られていた。

そういえば、日本でも昔は「ゆうこちゃん」「あいちゃん」「けんたくん」「たくやくん」などと名前の入った子供向けのキーホルダーが観光地のお土産屋さんなどにたくさんあったが、こういった商品はもう殆ど見かけないように思う。

今は俗に言うDQNネームやキラキラネームといったオリジナリティー溢れる"珍名"が増え、「ゆうこ」や「けんた」を大量生産したところでかつてほど売れないのかもしれない。

"珍名"に関しては、子供をペットのように扱っている、成長してもその名前では恥ずかしい、親の無教養を晒している……等々否定的な意見が多く、私もこういった意見には賛同する。

しかしその一方で、子供に珍名をつける人達の「我が子だけの特別な名前をつけたい」つまり「他人とかぶらない名前をつけたい」という気持ちに関しては私は強く否定できない。

私を知っている人ならご存知だろうが、私の氏名はまあ ありきたりなものだ。名字は全国名字ランキング50位以内に入り、名前は音も普通だし漢字もレパートリーが少なく、その中でも私は最もオーソドックスなタイプの漢字だ。フルネームを一発変換でも正しく出せるような名前と言えば分かりやすいだろうか。
そんなありきたりネームの私は 今でこそ この名前が好きだが、中学時代は本気で改名したいと考えるくらい嫌いだった。

その理由は、読みも漢字も全く同じ同姓同名の同級生の存在である。ありふれた名字にありふれた名前なのは確かだ。日本に、いや県内だけでも何十人何百人といてもおかしくない名前だ。しかしなにも小さな田舎町の小さな学校のせいぜい200人弱しかいない同級生の中にピンポイントで同姓同名が存在することはないじゃないか。

当然その子とはクラスは離され、タイプも違った(私が文化部の真面目優等生だったのに対して彼女は運動部の活発な子だった)ため 彼女本人との接点はほぼゼロだったが、先生や同級生たちに いちいち「○○部の方」とか「△組の方」といった枕詞をつけて呼ばれることになんだかモヤモヤしていた。

私にとって私の名前は自分ただ一人を表すものでしかないはずなのに、同じ名前の別の存在がすぐ近くにあることにまず違和感があったし、属性で限定され区別されるのは当時の私には「赤い方のペン」「青い方のペン」と区別するのと同じように感じていた。私は他の人とは違い、「ペン」のような一般名詞=世界中どこにでもあるありふれた特別でないものだと言われているように思えた。

また教師の中には同姓同名の生徒が同じ学年にいることを珍しがって、「▲組にも同じ名前がいるぞ!凄いな~!」などと皆の前で言う人もいたが、正直言って「何が面白いんだ」という気持ちしかなく、言われる度に露骨に嫌な顔をしてしまっていた。
悪気はないのは分かっているし、呼び方にしても、名字かぶり・名前かぶりだけなら色々と方法があっただろうが、いかんせん名字 名前 漢字全て同じなのだからそうするしか他に方法はない。逆の立場なら私だってそうしていただろう。

さきほど自分の名前について、当時は「改名したいほど嫌いだった」と書いたが、正確には違う。自分の名前は一貫して好きではあったが、私以外の人間とかぶったことを私は「他人に奪われた」風に思ってしまっていた。今まで私の名前は私だけを示すものとして生きてきたのに、突然現れた他人が全く同じ名前を名乗り、当たり前のようにすぐ近くで生活している。この違和感を解消するために唯一私だけを示す別の新しい名前が欲しかったのだ。

同姓同名の彼女とはそのまま接点もなく卒業し、現在に至るまで「私と同じ名前の他人」「私じゃない方」という認識しかしていない。おそらく、お互いに。ただ彼女も当時私と同じようなものを感じていたのだろうか。それは少し聞いてみたい。

話を昨今の珍名ブームに戻すが、「子供には他の子とかぶらない名前をつけたい」と思う親の中には 過去に私のようなモヤモヤを経験したことのある人も少なくないのかもしれない。自分の子供には自分専用の特別な名前をあげたい。そんな風に考えるのはいけないことだろうか。そして他人とかぶらない名前を、と考えると奇をてらったものになるのも仕方ないことかもしれない。

もちろん他人がすぐ読めない名前では生活をする上で不便だし、人間につけるには不向きな名前は本人のためにも付けるべきではない。ヘンテコな名前を付けられ それを一生背負うくらいなら、たかだか数年同姓同名が同級生にいる方が断然マシだろう。

ところで 私は同姓同名に悩んでいた頃、しょぼいイラストサイトを運営して同年代のお絵描き仲間と交流していたのだが、そこでのHNは「西園寺麗華(仮)」という憧れのゴージャスネームだった。
その仲間内では西園寺麗華がすなわち私であり、決して「○○な方」とは呼ばれない。ただそれだけのことが、とても心地よかった。

それから3年も経った頃、「大金持ちの令嬢でもない私が西園寺麗華はないわ(笑)」などと感じて、私は西園寺麗華を引退した。しかし本当の理由は、痛さに気付いたというよりもむしろ 中学を卒業し同姓同名がいなくなって「○○な方」などと呼ばれなくなったことが大きいと思う。
今、西園寺麗華を名乗っていたことを思い出すと少し恥ずかしくなるが、もしこの西園寺麗華がなければ 中学時代の私は同姓同名というどうしようもないものにもっとイライラしていただろうし、もしかしたら結婚して子供を産んだときに誰ともかぶらないような"珍名"をつけていたかもしれない。

私が思うに、人にはある程度 自分の好きな名で呼ばれる場が必要なのかもしれない。幸いネット社会の進んだ今は「西園寺麗華」でも「†暗黒の騎士†」でも外国人風の名前でもなんでも好きな名前を名乗れる。
好きな名前で生活してみた結果、私のようにこれを本名として生活するには合わないだろうと思うこともあるだろう。飛躍しすぎかもしれないが、それで子供に妙な名前をつけることを防げる可能性もある。

ちなみにロシアの大学ではロシアンネーム、つまり本名とは別に 自分で選んだロシア人風の名前を名乗る外国人留学生も少なくないようだ。
私のクラスメートの中国人・韓国人の多くはロシアンネームを持っていて、皆それぞれ普段からナージャ、リーナ、ミーシャ、トーリャなどと名乗っている(余談だが、彼らの本名が王ナントカ や 金ナントカ だと知ったときはなんだか不思議な気分になった)。
正式な手続きなどの時は本名を使わなければならないが、友達同士や学校でくらいなら十分ロシアンネームで過ごせるし、先生もそれで呼んでくれる。ロシア人にとっても耳慣れない・発音しにくい外国人(特にアジア人)の名前よりもロシア風の名前の方が呼びやすいのだろう。

私の知る限り日本人でロシアンネームを使っている人はいないが、ロシア人に「ロシアンネームはないの?」と聞かれたこともあるので、日本人がロシアンネームを使っても別におかしくはないのだろう。
結局私はロシアンネームを使わずに 本名で呼んでもらっているが、せっかくなら使ってみても良かったなと思っている。ちなみに今さらだが私がロシアンネームを使うなら「スヴェトラーナ」がいいな。

外国人風の名前に憧れている人は、子供に無理矢理の当て字でつけてしまう前に、一度ロシアでロシアンネームを名乗ってみるのも良いかもしれない。

ロシアの飲むヨーグルト評価 (Чудо編)

ロシアに来て驚いたことのひとつに、ヨーグルト商品の取り扱いの多さが挙げられる。特に飲むヨーグルトの豊富な品揃えには感激した。何を隠そう私は大の飲むヨーグルト好きなのだ。
ロシアに来てから飲むヨーグルトをせっかく色々飲み比べてきたので、どこに需要があるかは分からないが、食レポならぬ飲レポをしていこうと思う。

ちなみに、 日本の飲むヨーグルトが言うなれば「ヨーグルト味のジュース(あるいは牛乳)」であるのに対し、ロシアのそれは「普通のヨーグルトをかき混ぜて飲める状態にしたもの」が基本である。

今回はヨーグルトメーカーの中でも多分メジャーなЧудоという製品のシリーズを紹介しよう。
なお評価は私の独断で、また単純な「美味しさ」という観点で★5点満点でおこなう。(例:★★★☆☆→3点)紹介は順不同。

 

 

Клубника-Земляника(イチゴ)★★★★★

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安パイ中の安パイ。日本のイチゴ果肉入りヨーグルト商品をそのまま飲んでいる感じ。
後味もすっきりしており、最も飲みやすいと言える。迷ったらこれ。

 

 

Северные ягоды (北のフルーツ?)★★★☆☆

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新商品。悪くはないが、良くもないといったところ。
味そのものは比較的飲みやすいが、果肉が口に残るというか喉にひっかかるような感じがする。たとえるならカルピスを飲んだあとのような。
一度試してみる分には良いがリピートはしない。 

 

 

Вишня-Черешня (さくらんぼ)★★★☆☆

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いかにも さくらんぼ!といった香り。香りの割に味はあっさりしている印象。
ただ果肉が少し邪魔。さくらんぼ好きなら良いかもしれない。

 

 

Персик-Манго-Дыня(ピーチ&マンゴー&メロン)★★★★☆

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最初の一口の印象は「メロンが強い」。全体的にまろやか。
果肉もゴロゴロしていて、日本のフルーツヨーグルトをちょっと柔らかくした感じ。
ピーチ、マンゴー、メロンが嫌いでなければかなりオススメ。

 

 

Черника-Малина(ブルーベリー&ベリー)★★★☆☆

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ベリー系だけあって、少し酸っぱい(?)
私はベリー類がそこまで好きではないのでこの評価だが、この味を好んで飲んでいた日本人もいたので、ベリー類が好きな人は試してみる価値あり。

 

 

Ананас-Банан(パイナップル&バナナ)★★★★★

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私の大本命。数々のЧудоを飲んできたが、結局これに落ち着く。
パイナップル&バナナと書いてあるが、パイナップルの方が強い印象。
パイナップルの酸味とヨーグルトの甘さが上手くとけ合い、後味もスッキリして非常に美味しい。

 

 

Кокосовый шейк(ココナッツシェイク)★★☆☆☆

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ココナッツの香りは良く、味も「美味しいココナッツ味」だと思う。
しかし細かい果肉が非常に邪魔で、舌に残る。
「めちゃくちゃ喉が渇いていて、目の前にあった飲み物がこれ」というような状況でもない限り、わざわざ飲もうとは思わない。しかも他の商品より割高で、買ってまで要らないの典型例。

 

 

Малина-печенье(ベリークッキー)★☆☆☆☆

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これは酷い。甘ったるい香りの中に、混ぜるな危険と書いておきたくなるような変な香ばしさ。そしてこの要らぬ香ばしさが口の中にずっと残る。
言うなれば砂糖を大量に使った焼き菓子をミキサーで砕いてヨーグルトに混ぜたような代物。
Ананас-Бананを作った会社がこの味でオッケーを出したとはにわかには信じがたい。
名前からして地雷だと気づくべきだったのだが、興味本位で買ってしまった。私のように全商品コンプリートを目指しているわけでもなければやめておいた方が良い。

 

 

とりあえず今回はここまでだが、調べてみるとまだ飲んでいない商品が幾つかあったので、順次飲レポを追加していくことにする。もちろん自己満足であることは言うまでもない。

ロシアで迷子になった話

方向音痴を自称する人間は多いが、果たしてその内何人がホンモノの方向音痴なのだろうか。
よくいる自称方向音痴の方々は「方向音痴だから○○までの道 全然分からない~」などとのたまうが、大抵その○○はその人が初めて訪れる場所・行ったことのない場所であり、それは断じて方向音痴などではない。ただ土地勘がないだけだ。
もし行ったことのない場所の道が分かるならそれはもはや人間Googleマップだ。私の理解の範疇を超える。

そんなエセ方向音痴が蔓延る中、自慢じゃないが私は正真正銘ホンモノの方向音痴を自負している。もし方向音痴世界大会でも開催されたら私は金メダル最有力候補だろう。いや、本当に何の自慢にもならないのだが。
適当な例を挙げるなら、来た道を正しく引き返すことができないレベルと言えば分かりやすいだろうか。私にしてみれば行きと帰りで見える風景が異なるのだから分かるわけがないのだが、世間の大多数はこれが分かるらしい。
一旦建物に入れば、外のどの方向に何があるか分からなくなるし、地下街なんて最悪だ。ダンジョンと名高い梅田はもちろん、長年住んでいるはずの神戸も未だに把握できていない。

そんな最強の方向音痴の私だが、2月14日からロシアのハバロフスクに留学中だ。成田から飛行機で3時間、時差は+1時間の日本から比較的近い田舎町である。
日本の地元ですら迷子になるような人間が 言葉もきちんと通じるか怪しい雪国に一人で飛び込むのは自殺行為に他ならず非常に恐れていたのだが、結局、慣れるまでは一人で外を出歩かなければ大丈夫!と高をくくっていた。

しかしそんな甘ったれた私に 神は早々に試練を与えたもうた。
手続きのためにバスで数十分ほどのところにある大学本部に一人で行かねばならなくなってしまったのだ。幸運なことに、クラスメートの日本人が行きは付き添ってくれたのだが、帰りは一人……
付き添いの日本人に降りるバス停を何度も確認し、とりあえずは大丈夫だと思った。その時は。

ところで 私たちホンモノの方向音痴の鉄則として、
『自分の記憶より人の言葉を信じろ』
『分かっているつもりでも人に聞け』
『勘なんてもってのほか』
というものがある。嘘。本当は今私が考えただけ。
しかしまあそんなわけで 一応降りるバス停は分かっていたものの、確認しておくに越したことはない。料金回収のおじさん(ロシアのバスには運転手とは別にこういうお仕事の人がいるようだ)に「××通りで降りたい」と伝えておいた。おじさんは「じゃあ××通りについたら言うね」と笑顔で答えてくれた。これでもう安心だ。

しばらくしておじさんが「××通りだよ」と言うので外を見ると、「あれ……こんな感じだっけ……?」という感じの風景が広がる。しかし方向音痴の鉄則『自分の記憶より人の言葉を信じろ』に従い、またおじさんも「ここだよ、降りな」みたいな顔をしていたのでとりあえず降りた。

違 う じ ゃ な い か ! !
そこは××通りの ひとつ手前のバス停だった。おじさんに対して多少の憤りを覚えつつも、この時はまだ楽観的だった。
私の乗ったバスは基本的に一本道を真っ直ぐ下るだけだったので、歩いていればそのうち着くだろう。
しばらく歩くと一度行ったことのあるお店が見えた。あそこから寮までなら帰れるぞ。あのお店に入れば万事解決だ!やったね!そう思って歩き進めたのだが……

なんと、途中から歩道が消えたではないか。正確に言うと一応歩道らしきものはあったのだが、橋とガードレールの間の細いスペースで、雪が20~30センチは積もっており、誰もここを歩いた形跡はない。しかしここを歩く以外に道はない。文字通りの意味で。とにかくひたすら前だけを見て、吹雪の中、膝まで雪に埋もれながら道なき道を歩いた。そしてなんとかお店まで辿り着いた。

余談だが、お店の目の前の道で ロシア人のおばさんに何かを聞かれたのだが сюда くらいしか聞き取れず、頭に?マークを浮かべていたら「もういいわ」と言って去っていった。
いや、どう見ても外国人って見た目の人間に尋ねるなよ!仮にちゃんと聞き取れたとしても知ってる確率はかなり低いよ!?そもそも周りにロシア人いっぱいいるじゃん!

暖かい店内で休憩をしてから再び寮へと歩き出したのだが、あれ、おかしいな。寮までの道が分からないよ……?とりあえず記憶を頼りに適当に進んでみたら余計に分からなくなった。どこだここは!
よほど人に尋ねようかと思ったが、そもそも人通りがまるでない。30分ほどさまよったが、どの方向を見ても雪で真っ白な風景が広がるばかりで、知人に電話して助けを求めようにも 自分が今どこにいるのかすら説明できない。マイナス20度の吹雪。もうすぐ日も落ちる。周りには何故かゴツい野犬が数匹。

ここは逃げるが勝ちだと、まださっきのお店の看板が見えるうちに店に戻り、その辺にいた警備員のおじいさんに本来降りるはずだったバス停付近の建物の写真(これを撮っていて命拾いした!)を見せて、ここに行きたいと伝えた。
「この道をずっと真っ直ぐ行って右だよ」
その言葉に従ってひたすら歩く。まるで見覚えのない景色が広がり、同時におじいさんへの不信感も広がりつつあったが、藁にもすがる思いで歩いて歩いてついにバス停にたどり着いた!
嗚呼おじいさん、疑ったりしてごめんなさい。貴方のことは一生忘れないよ。
そこから寮までは、安心感で寒さも忘れて小走りで駆け抜けた。案の定転んだ。

そんなこんなで約3時間の私の大冒険は幕を閉じた。バス停さえ間違えなければ10分とかからない道程だったのだが。
この事件から数日後、また大学本部へ行く用事があったのだが、今度は一人で正しく行って帰ることができた。めでたしめでたし。

トントンのおじさん

子供の頃、夜更かししていると「お化けが出るから早く寝なさい」と親に言われたことのある人はどれくらいいるだろうか。
スマホタブレットを使いこなすような最近の子供にはそんな手は通用しないらしいが、私たちの年代ならこのセリフは一度くらい聞いたことがあるように思う。
我が家でも私が小学校に上がる頃まではこの「寝ないと○○が来るよ」システムが採用されていた。
ただしお化けなどといった非科学的なものではない。
うちで夜更かししている子供を狙うのは「トントンのおじさん」である。

幼い頃、私は小さなマンションに住んでおり、夜は両親と、妹と4人で同じ部屋で寝ていた。
そして私や妹がさっさと寝ないと、どこからか トン…………トン……トン……トントントントントントントントントン‼という不気味な音が聞こえてくるのだ。
父は小声で緊張したように言う。
「しっ!静かに!トントンのおじさんが来た、子供がおるのがバレたら拐われるで!!」

トントンのおじさんとは、簡単に言うと人拐いのおじさんである。
子供を見つけてはチョコレートなどのお菓子で誘い、捕まった子供は貨物船で外国へ運ばれ、大人しい子供は奴隷にされ、うるさい子供は眼球や内臓を売られる。
もちろん父の作った設定で、トントントン……という音も父がこっそり壁を叩いているだけで、私たち姉妹もそんなことは分かっていたので「しょーもな(笑)」という態度をとっていたが、今思うと妙に現実的でお化けよりよっぽど恐ろしい。

クリスマスの夜も良い子のところにはサンタクロースが来るが、悪い子のところにはトントクロースが来ると言われていた。
サンタクロースが赤い服に白い髭、プレゼントを入れた白い袋を持っているのに対してトントクロースは真っ黒な服に目深にかぶった黒いサンタ帽子、捕まえた子供を入れるためのゴミ袋のような黒い大きな袋を持っているのだ。
これは父が絵に描いてくれた。ちなみに父はなかなか絵が上手く、かなりリアルで怖かったのを覚えている。

しばらくして弟が生まれると今の一軒家に引っ越し、私は自室で妹と寝るようになり、また弟はすぐに寝る良い子だったため トントンのおじさんが我が家にやって来ることはなくなった。

私と妹は「今思うとブラックすぎる。これが保育園児を寝かせるための言葉か(笑)」と時々トントンのおじさんの思い出を語る。
最初に言ったように、今の子供には「お化けが来るよ」が効かないらしいが、それなら今こそトントンのおじさんの出番だ。
お化けはいるかいないか分からないが、トントンのおじさんは現実にいるのだから。