先日、友人に『ふつうの軽音部』という漫画を勧められた。オタクではあるものの漫画にはさほど詳しい訳ではない私でも、SNSで話題になっており、勧めてもらう前から何となくタイトルは聞いたことはあったのだが、有名な「軽音部」のアニメ・漫画といえば、とりあえず可愛くてクセの強い女子高生キャラに、申し訳程度の楽器・音楽要素をつけてわちゃわちゃさせる……という印象だったので、勝手な偏見で別にわざわざ読まなくても良いか、とスルーしていた。
しかし、信頼する古くからの友人(上記のような女子高生わちゃわちゃ系を好むイメージもない)がやたらとハマっているのを知り、どうやらそういう作品でもなさそうだぞと思っていたところ、ジャンプ+のアプリで初回は全話無料で読めるから是非読んでほしいと言われ、それならばとアプリをダウンロードしたのである。
結果、勧めてもらったその日の夜に、その時点で公開されていた44話全てを一気読みし、翌日単行本まで買ってしまった。
タダだしという軽い気持ちで読んだにもかかわらず、ケチな私でもここまでお金を使っているので、無料公開というのは出版社サイドからもしても良いプロモーションに違いない。今後もぜひお願いしたいところである。
そんなわけで、急にハマってしまった『ふつうの軽音部』の良さについて、熱が冷めないうちにざっくり書いていこうと思う。
本当に「普通」な設定
私が思うに、『ふつうの軽音部』(以下、『ふつ軽』と略させていただく)の最大の魅力は、タイトル通り「ふつう」なところだ。
ちょっと渋めの邦ロックを愛する新高校1年生・鳩野ちひろは、初心者ながらも憧れのギターを手に入れ、念願の軽音部に入部する。個性豊かな部員たちに困惑しつつも、バンドを結成することになるが──!?
超等身大のむきだし青春&音楽奮闘ドラマ、開幕!!
(単行本1巻あらすじより引用)
あらすじには 「個性豊かな部員たち」とあるものの、私が読んだ感想としては「登場人物が全員普通」だった。
高校生が主人公になる作品の場合、天才ばかりが集められる学園とか、逆に荒れまくっている学校が舞台になったり、ファンタジーものでなくてもIQ300の天才だとか財閥の御曹司だとか、誰もが見惚れる美男美女、高校生にしてプロ顔負けの実力……みたいな、現実に存在はするにしても「とって付けたような設定感」が強いキャラクターが多いし、展開もその設定に頼ることが多く、一般庶民からすれば非現実的なものが大半だ。
一方で『ふつ軽』の舞台は 大阪の特別難関でも馬鹿でもないであろう高校で、登場人物も主人公ちひろをはじめ、部活仲間もクラスメートも先輩も男も女も、みんな「いるよねこういう子」というような感じだ。ごく一部、というか一名ちょっと変わったキャラがいるものの、それも現実的な範囲だし、ギャグ演出・ストーリーの進行のために必要となる程度で強引さを感じない。現実で関わる人間にいるかいないかで言えばいるし、実在する変わった人に比べたらよほど普通だ。
ストーリーも想像のつかない展開に翻弄されるわけでもなければ、未知の世界を知れるわけでもない。誰もが経験したような、徹頭徹尾「ふつうの高校生」の「ふつうの部活」を描いている。
いわゆる部活モノの漫画やアニメでは、主人公や主要キャラクターはそれ(スポーツなり楽器なり)がひたすら好きで、実力のなさに落ち込んだりライバルに負けて悔しいと感じたりはするものの、上手くなるための努力は厭わず、常にそのことばかりを考えて、弱小校から全国大会優勝を目指したりする。勿論そういう作品は面白いし、私自身そういう内容の好きな作品もある。(ちなみに私は長年『ハイキュー‼︎』が好きだ。)
だが一方で、現実はそんなにキラキラもギラギラもしていない。よほどの強豪校でもない限り、そこまでの熱量で部活をしている人はそういないだろう。入部する以上それなりに好きだし、それなりに練習したりするけれど、全国大会やましてやプロを目指すつもりなど毛頭なく、普通に勉強や家庭の事情が忙しくなればそちらを優先するし、普通に他の趣味もあるし、普通に人間関係が抉れて部活を辞めるし、普通に楽しんで普通に苦しむ。私自身も周りもそうだった。『ふつ軽』はそんなキラキラしていない、まさに「超等身大のむき出し青春」な部活漫画だ。
そんなキラキラしていない作品を面白い・好きだと思えるのは、決してその非キラキラさをネガティブなこととせず、思春期少年少女に対する高い解像度をもって各キャラクターの心情を丁寧に描いているからだろう。
これは個人的な印象だが、特にファンタジーではなくリアル寄り(現代日本を舞台としたもの)の作品の場合、登場キャラクターが妙に性格が悪かったり、コンプレックスを煽るような設定・描写が多い気がする。特に女子学生グループの中では常にマウント合戦が繰り広げられ、容姿や家庭環境のレベルでジャッジし合い、劣等感を抱き、巧妙に自分の優位性を匂わせたかと思えば、やたらと攻撃的な言動をしたり……
こういう人・出来事がないとは言わないが、ある程度生きてきて、内心負の感情を他者に抱いていたとしてもそれを表に出すような人に私は出会ったことがない。フィクションなんだから誇張するのは当たり前と言われればそれまでだが、リアル寄りの作品ですらキラキラもドロドロも極端すぎて、現実はもっと普通に楽しくて普通にしんどいよと言いたくなってしまう。そんな中で、何度も言うが『ふつ軽』は本当に普通で、エンタメとリアル、楽しさとしんどさが絶妙な塩梅なのだ。
人間関係のリアルさ
男女が同じくらい登場する作品、特に舞台が高校の作品の場合、当然のようにキャラクター同士の恋愛描写が出てくる。実際同じ部活メンバーに恋愛感情を抱くことは現実でもよくあることというか寧ろ自然なのだと思うが、多くのフィクション作品の場合、メインキャラクターは必ずと言って良いくらい近しい異性が現れると恋愛・性愛対象としてどうなるかという流れがあり、それもやたらとドラマチック(良い意味だけでなく、修羅場みたいな内容でも)なストーリーがある。
正直なところ、私はこの「距離の近い男女がとにかく恋愛として描かれる・扱われる」作品が苦手で、某探偵漫画なんかは主人公たちだけでなく警察関係者など脇役と言っていいようなキャラですら、ちょっと目立ってきたら恋愛相手をあてがい、だらだらその話を続けるところが嫌で離れてしまっている。(もっともこの作品に関しては、作者がそういう趣味だと公言しているようなので、それならもうそういうジャンルなんだと捉え、not for meだと割り切っている。もしテコ入れとか、読者はこういうのが好きなんだろ?とダサピンク現象的なことで無理やりやっているなら抗議したいが。)
一方『ふつ軽』では、登場キャラの恋愛描写はあるし、それが展開にそれなりに大きく影響はするものの、その恋愛がやたらと大袈裟に・メインディッシュとして描かれることはない。
※以下、大きなネタバレにならない程度にストーリーやキャラクターに触れるが、少しのネタバレも避けたい方は、これ以降は読まずにジャンプ+をインストール、もしくは本屋に行ってほしい。
ちひろ達の所属する軽音部内での恋愛関係の中心となるのが、ちひろと同じ1年生男子・鷹見項希だ。彼はルックスも良く、1年生ながらギターの腕前も軽音部随一で女子からの人気も高い。そんな鷹見は入学早々同じ軽音部の1年生女子と付き合うが、「なんだか面倒」といういう理由であっさり別れ、その後すぐに同じバンドメンバーの1年生・藤井彩目と付き合うが、これも彩目の性格に嫌気が差して早々に別れてしまう。
女読者の私から見て、鷹見はいけ好かない男ではあるものの、決して浮気したり暴力を振るったりするとんでもないクズ男という訳ではなく、彼の立場ならそう思っても無理ないだろうとも思えるし、所詮高校生の、子供同士の恋愛なんてそんな感じだ。たかがクラスメートや部活仲間として知り合って付き合った相手とそのまま5年10年と付き合い続けて、結婚したり子供ができていたりする将来を描く作品は多く、確かにそれは理想的かもしれないが、実際は付き合うも別れるもアッサリだ。
また、同性愛者やアロマンティック(と思われる)のキャラクターがさらりと出てくるのも良い。こういうキャラクターが出ると、一部の人はすぐに「ポリコレに配慮して無理やり入れている!」などと言うが、私からすると先にも書いた通り、近くにいる男女が当たり前のように恋愛関係になる方が無理やり感を覚えるし、実際同性愛者やそもそも他人に恋愛感情を持たない人間は案外多いと思う。
ちひろのクラスメートかつ同じ軽音部の内田桃は、アロマンティック(なのではないかという描写がある)で、中学からの親友2人の恋愛話を聞くたびに内心疎外感を覚えたり、自分がおかしいのではないのか?という悩む。周りが恋愛にはしゃぐ一方、自分は興味が持てず、大好きな友人を「彼氏」というぽっと出の男に取られたような気持ちを抱える中、とある出来事がきっかけで親友と喧嘩をしてしまう。
私自身は性欲を持たないアセクシャルの人間なのだが、恋愛感情と性欲がイコールとして語られることが多い中、世間一般で言われる「恋愛感情」も自分にあるのか長年疑問を持っている。桃の倍くらい生きている私ですら、未だに恋愛感情とは何なのか?などモヤモヤすることも多いのに、まだ高校生になったばかりの桃が抱えるには大きすぎる悩みだろう。そういった意味では、私は桃に一番共感・感情移入してしまう。
現実の人間関係のトラブルは大抵の場合、特別悪い人がいる訳ではなく、誰も悪くはないけれど気を悪くする人が出てくる(気を悪くした本人も、その原因となる相手が悪い訳ではないとは理解している)ことで発生するのだと思う。それは高校生という子供でも同じで、『ふつ軽』はそういう「誰が悪い訳じゃないし、分かりやすい解決策がある訳ではない、よくあるしょうもないトラブル」の連続だ。大人読者にとっても「これは過去の自分だ」と思えるキャラクターが一人はいるんじゃないだろうか。
ちゃんと「軽音部」をしている
ここまで部員同士の人間関係描写の濃厚さについて書いてきたが、ギラギラ・ガチガチすぎないだけで、きちんと「軽音部」をやっているのも良い。
演奏技術の巧拙に言及があったり、上手い人は熱心に練習しているし、発表の場で下手なバンドはちゃんと観客に下手と思われている。初心者が大した練習もせず初めての舞台で大盛り上がり!なんて都合良くはいかないし、かと言ってそれで周りに見下されたり酷く馬鹿にされるような極端な展開もない。
演奏する曲も、実在のアーティストや楽曲をそのまま取り入れいるため、これまで書いたような「普通」なキャラクター設定も相まって、実際にちひろたちが、自分と同じこの世界に生きているんじゃないかと思える。また読者が作中に登場する曲を聴くことで、ちひろ他キャラクターの感情や考え方(と書くと大げさかもしれないが「好み」「性格」レベルのことでも)がより伝わってくる。
登場曲も、クラシックと特定のアーティストの曲ぐらいしか聴かず、よほど有名な曲・アーティスト以外知らない私ですら知っているものも出てくるし、知らなかったとしても話についていけないということは全くない。それに、知らない曲を調べてみて良いなと思うなんて、友人から勧められて聴いてみたり、カラオケで友人が歌っていて覚えた学生時代みたいで懐かしい気持ちになる。
演奏・歌唱シーンは幾つかあるが、まず初めに『ふつ軽』のストーリーが大きく展開する重大場面・夜の視聴覚室でeverything is my guitar/ andymoriを一人でこっそり演奏するシーンでは 、ちひろの意外にも(そしてリアルな)複雑な過去が回想シーンで判明し、そのモヤモヤを全部吐き出すような歌詞とのリンク感も良い。原曲を後で聴いて少しハマっている。
もう一つ気に入ったシーンのひとつは、失恋後、鷹見に酷い言われ方をした彩目が、永井公園(これは大阪に実在する長居公園がモデルだろう)でちひろの弾き語りを聴くシーン。彩目の、他人から見て決して良いとは評価されないであろう性格も、それに至る経緯も、全部含めて彩目という人間が好きになる良回だ。
そしてこの時にちひろが演奏していたのが、理由なき反抗(The Rebel Age)/ a flood of circle 。
本当に偶然なのだが、今年4月頃から新しく同じ職場の別部署に入ってきた女性がとてもオシャレで常々話してみたいなと思いながら半年が経ち、勇気を出して話しかけてみたところ、彼女がこのa flood of circle の大ファンで、この曲も教えてもらった。その矢先に『ふつ軽』にこの曲が登場したので、なんだか勝手に運命的なものを感じている。
冒頭で「熱が冷めないうちに書く」などと書いていたが、『ふつ軽』を読んだのが11月の初めで、これを書き始めたのも同時期なのに、今はもうまさに2025年を迎えようとしている。
『ふつ軽』は既に51話が公開されており、さらに新たな展開が始まっている。これからもちひろ達の「ふつう」な生活を見守っていきたい。