ОГУРЕЦ

キュウリ美味しいね。

センスは金では買えないが

 2024年も早くも6分の1が終わろうとしている。2017年1月に開設したこのブログだが、10周年を迎える日もそう遠くはないと思うと恐ろしくなる。去年はとうとう1記事、それも何年も前に書き残していた文章の供養というなんともお粗末な投稿しかできなかったが、書きたいことはまだたくさんあるので、今年こそ何度か投稿できれば良いなと考えている。

 さて、大阪梅田では北エリア(グランフロント大阪周辺)で大規模な開発工事が進んでいるのだが、私の職場からは この工事の様子を上から見ることができる。
 私が就職した時点で既に工事は行われていたのだが、個人的に完成までの記録をしておきたいなと思い、数年間にわたり定期的に職場から撮影し、「工事進捗」という名目でデータを保存している。撮影と言っても、窓越しにスマホで撮るだけ、しかも気が向いたときだけなので大した資料にはならないのだが、時々見返すと着実に工事が進んでいることが分かってなんだか楽しい気分になる。
 それと同時に、よくこんな長期間で計画通りに進められるなぁと、感心というかもはや畏怖の念が沸く。ここで言う「計画通り」とは工期の話ではなく、(恐らく)元々あった設計の通りマトモなものを完成させられるという意味である。世の中の数多ある都市、公共施設、住宅等々、途中で思った通りにいかずにぐちゃぐちゃになったりしないのが、当たり前と言えば当たり前だが、それでも凄いと思ってしまう。

 私は常々、生活感のないおしゃれで綺麗な部屋に住みたいと考えている。同じように思っている人はたくさんいるだろうが、そのうちそれを実現できている人は少数派ではないだろうか。私も実現できていない派の一人で、物件選びや家具選びを間違えてしまったり、見映えよりも利便性を優先した結果、「なんだかごちゃついた部屋」になってしまっている。
 とはいえ私は散らかった部屋にいると気が狂ってしまう人間なので、掃除・整理整頓に関しては世間の平均よりは意識が高い自負がある。「ごちゃついた」というのはあくまでも「モデルルームのような、家具や調度品にも統一感がありスッキリした部屋ではない」という意味であって、仮に 服が出しっぱなし、テーブルに使わない調味料が出ている、シンクに洗い物が溜まっている……といった“本当に”散らかっている部屋の住人に「分かる~散らかっちゃうよね!」なんて言われたら、一緒にするなと内心ブチギレるだろう。我ながら嫌な奴だ。

 しかしいくら整理整頓が行き届いていても、モデルルームを理想とするとどうしても今の自宅に納得がいかず、「テーブルとソファはもっと淡い色にすれば良かった」「家電は白ではなく黒にしたら良かった」など毎日毎日モヤモヤしている。ちょっとした小物ならともかく、家具・家電となると気に食わないものでも簡単に処分したりもできない(物理的にも、精神的にも)。以前にも、「間違えて買ったものを視界に入れたくない」ということを書いたが、それでいくと家具・家電、ましてや家そのものなど、視界に入るどころではないため、当然ストレスがかかる。
 そんなストレスを抱えるくらいなら高くても買い替えた方が良いと、最近は淡い色のテーブルとソファをネットで探しているが、結局実物を見ないと色合いは分からないし、実物を見たとしても持って帰ってみたらなんか思ってたのと違う……という可能性もある。そもそも、その時は良いと思っていてもやっぱり気に食わないということもある。実際、今のテーブルとソファも購入したときは気に入っていたのだ。私がテーブルなら理不尽だと文句も言いたくなるだろう。また、私は転勤ありの仕事をしているため、今の家に合わせて買った家具も、引っ越し後の部屋では合わないということもありうる。そんなことを考えていたらいつまで経っても何もできていないのが現状だ。

 そんな私なので、どうぶつの森のように家具を一瞬で葉っぱに変えて持ち歩いたり タンスにしまっておければ良いのにと幼少期から本気で思っている。前回書いた「ドラえもんのスペアポケットを収納グッズとして欲しい」というのも同じことだ。それさえできれば、仮に買い替えた家具や家電が思った感じと違っても、とりあえず処分するまでの間は邪魔にならないところ・目に入らないところに置いておける。
 そういう意味では、どうぶつの森は私のような 現実では理想の部屋を作り上げられない人間にとって、仮想空間で自分の思い描く理想の町や家を手軽に作れるとても良いゲームなのだ……などと言いつつ、考えてみると どうぶつの森でも私は理想の島づくりには失敗していた。
 2020年3月に発売された『あつまれ どうぶつの森』、通称『あつ森』は、無人島に移住して、自分の家を作ったり、他の住民を誘致したり、木や花を植えるのは勿論のこと、土地を掘り返して川や池を作ったり、土を盛って崖を作れるなど、これまでのシリーズと比べても格段にできることが増えた。その自由度の高さと、コロナ禍の真っただ中という情勢もあり、同作品が大ヒットしたのがもう4年前というのだから信じられない。
 私は世間より一足遅れた2021年春から始め、理想の島を作るのに躍起になっていた。私の理想の島とは「石畳の街を抜け、森に入ると立派な薔薇庭園、その奥には大きな洋館があり、そこに住む麗しの魔女(私)」。改めて文字に起こすと恥ずかしいが、私に限らずこういうテーマを理想として『あつ森』をプレイしていたユーザーは多いだろう。
 そんなわけで、当時GW休暇中ということもあり毎日朝から晩まで島開発をしていたのだが、そう簡単には進まない。実際にプレイした人なら分かると思うが、あのゲームでは欲しい素材を作るにもある程度のミッションや、特定の条件をクリアする必要がある。そうなると、最初からある程度考えて開発を進めていたつもりなのに、条件をクリアしてやりたい施工ができるようになった頃には、もう既に予定と現状にズレが生じている。「最初にここに博物館を建てたせいで、このエリアが開発できない!一旦移動させるにも金と時間がかかる!いっそ一番最初からやり直したい!」などと、現実の家具と全く同じ状況に陥っていた。

 ところで私の高校時代からの友人に 非常にオシャレでセンスのある女性がいるのだが、彼女の自宅はさながらモデルルームで、常に整理整頓されているのは当然、家具家電にも統一感があり、調味料などの生活感を感じさせるものは見える位置に出さないなど徹底されている。そんな彼女も当時『あつ森』をやっていたのだが、彼女の島は自宅同様美しく、自然と町との共生が見事に再現されていた。聞けば彼女は誘致する住人も徹底的に厳選し、自分の島の景観に合うような家を建て、見た目も可愛らしいキャラクターのみを集めていた。(「島の景観を損ねる」という理由で、たもつという名前からしてアホそうなゴリラの住人を必死で追い出そうとしていたのは、なんだかたもつを可哀想に感じつつも面白かった)

 私もせめてゲームの中でくらいは彼女のような美しい島を作りたかったのだが、なんだか思った通りに進まず、結局島の開発計画は無期限中止状態に陥ってしまった。所詮ゲームだから良いが、これがもし現実の街の開発だったならとんでもないことだろう。そういう意味で、最初に書いた通り、梅田の開発が着々と進んでいる様子にある種の感動を覚えるのだ。
 素人が個人的に片手間でやっている部屋の模様替えやゲームと、巨額の金と何百何千もの人が動き10年単位で計画された街開発を同列に語るなという話だが、梅田のような都会の大規模な開発でなくとも、例えば私が田舎の小さな村の権力者だったり、小さな企業のワンマン社長だったりしたら、「なんとなくオシャレだから」というような雑な思い付きで物事を進め、結局上手くいかず、ダサい景観の村や変なオフィスができていたかもしれない。というか、実際にそういう村や企業も少なからず存在しそうだ。

 結局、元々のセンスがないと部屋作りはうまくいかないのだろうと、このオシャレな友人を見て思う。「センスは金で買えない」とはよく言ったもので、この友人だって特別お金に余裕があって良いものを手あたり次第に買ったりしているわけではない。生まれ持った・あるいは成長の過程で身に着けたセンスで、効率良く美しい部屋を作れているのだろう。私が今から友人の家や インスタなどで公開されているオシャレな家を参考にしたとしても、自分一人で部屋を作ると、「なんか違う」「中途半端で余計にダサい」という感じになる予感しかしない。
 こうなればもう自分のセンスをどうこうするのではなく、次に引っ越すときには初めからインテリアコーディネーター的なプロに頼んで、指示された通りに家具を購入し、言われた通りに配置したい。自分のセンスは金で買えないが、センスのある人を買うことはできる。やはり金だ。

欲しいひみつ道具の話

 先日、電車の中で男性二人組が話をしているのが耳に入った。内容は「ドラえもんひみつ道具を一つもらえるとしたら何が良いか」という、日本人の大半が一度は考えたことのあるようなものであった。

 私も幼い頃に何度かこの話を友人としたことがある。大抵の場合「とりよせバッグ」(知らない人のために一応解説しておくと、どんな物でも、つまりどんなひみつ道具でも「とりよせ」できてしまうチートアイテムだ)に落ち着いてしまうのだが、私はどうも昔からこの手の空想話を真剣に考察したり議論したりするのが好きなようで、悪趣味だと思いながらもこの二人の男性の話につい耳を傾けてしまった。

 一方の男性が選んだのは「スモールライト」だった。彼がそれらを選んだ理由はこうだ。「スモールライトで自分が小さくなることで、どんな場所でも絶対人に気づかれずに侵入できる。タダでどんな場所にも入り放題だし、食べ物だって相対的に大きくなるから少量で満腹になって節約できる」
 なんだか微笑ましい考えだ。「人に気づかれずに侵入」に関して言えば、透明人間になれる道具や人の盲点に入って意識されなくなる道具が確かあったので、そちらの方が便利な気がするが、後半は良い考えかもしれない。
 そういえばスモールライトで小さくなったあとはどうやって戻るんだろう?と思ったが、スモールライトには解除機能もついており、また時間が経つと効果が切れて元の大きさに戻るらしい。

 もう一方の男性は「どこでもドア」を選んでいた。彼はどうやら毎朝満員電車に揺られて出社し、炎天下や寒空の中外回りを強いられている営業マンらしく、「とにかく早く移動したい」「ギリギリまで寝ていたい」「時間がない中で旅行を楽しめる」という理由でのセレクトだった。どこでもドアはひみつ道具の中でも主役的存在だが、欲しい理由がなんだか切ない。

 そもそもドラえもんの道具をもらえるなら、仕事自体をしなくていい状況を作り出せるアイテムを望めば良いし、最初の彼の方にしても大金を手にできるとか、もっと根本的に願いを叶えられる道具があるとは思うのだが、あくまでも現実を忘れない・忘れられないのは大人らしいと言えるかもしれない。そしてこういう中途半端に現実的な点こそ、空想話の醍醐味だと私は思っている。

 ところで、どこでもドアというと昔から思っていることが一つある。それは「タイムマシン、どこでもドアの上位互換説」である。

 つまりどういうことかというと、知っての通り どこでもドアは好きな場所に瞬間移動ができる道具、タイムマシンは過去でも未来でも好きな時代に移動できる道具と認識されている。しかしタイムマシンでは 例えば2021年の日本にいる人間が中世のフランスに行くなど、時だけでなく場所も移動できるのではなかっただろうか。私はドラえもんにそこまで詳しいわけではないので、もしできなければこの話は終わりなのだが、場所移動もできるのだとしたら、例えば「1秒前のフランス」などと時差を限りなく小さく指定すれば、実質どこでもドアとして使えるのではないかということだ。

 もっともドラえもんの道具自体、ピンポイントすぎる用途のものも多いし、子供の頃アニメを見ていて「この状況ならわざわざ新道具出さなくてもあの道具使えばいいじゃん」と思うようなことも結構あったので、タイムマシンと どこでもドアについても同じことが言えるのだが、1回登場したきりもうほとんど出てこないようないわばモブ道具ならともかく、知名度も能力もずば抜けたこの2つの性能が似通っているのはいかがなものだろうか。

 ということで、タイムマシンで時間+場所移動できるという前提で、似たような性能の道具(どこでもドア)が存在する理由として今ぱっと思いついたのは以下の2つだ。

説1:タイムマシンで移動できる時間の範囲は最短でも±1日などと決まっており、時差をほぼなくして移動することはできない。そのためリアルタイムでの移動の際にはどこでもドア(あるいはワープホールなど)の方がふさわしい。

説2:タイムマシンは確かにどこでもドアの上位互換だが、未来デパートにおいてタイムマシンは非常に高価、あるいはタイムパトロールなどの存在がある以上、タイムマシンを使うには何か申請や許可のようなものが必要であるため、どこでもドアという時間移動機能なしの道具の需要が高い。

 説1に関しては、我ながらなかなか説得力のある説だと思うが、かすかな記憶をたどると、のび太の宿題か何かを手伝うために数時間後のドラえもんをタイムマシンで連れてくるというような話があったような気がする。つまり割と近い時差を行き来することも可能なのではないだろうか。

 一方説2に関しても、確かに実際現在タイムマシンとどこでもドアという商品があったとして、タイムマシンを使うためには相当のコストがかかるのだとしたら、とりあえずどこでもドア買おう、となると思う。現実世界で言うところの「通学用にバイクは高いから、とりあえず今使う用の安い自転車を買おう」というのと同じかもしれない。
 しかし、問題はドラえもんがタイムマシンを持っていることがこの説の致命的な欠点だと思う。ドラえもんが22世紀においても特別裕福という描写は覚えている限りない。むしろドラえもんが何か道具を取り出して「未来デパートでこの道具を買って高かった」などと言うことも何度かあったような気がする。そしてタイムマシンの使用についても、特にややこしい手続きを踏んだりする描写もなくバンバン利用しているように見える。

 ……と、ここまでの文章を2019年くらいにはこのブログ用に書いていたのだが、特に続きが思いつかずに放置してしまっていた。つまり冒頭のサラリーマン風男性2人組の会話を聞いたのも随分前のことである。どこでもドアを欲しがっていた彼も、今は外回りなどしていないかもしれない。

 そんな下書きを発掘してきて、せっかくだし加筆修正して公開しようと思ったのだが、過去に思いつかなかったものは数年経ってもやはり思いつかず、かといってお蔵入りにするのもなんとなく惜しい気がするので、潔く中途半端な状態で公開することにした。そうまでして公共の場に流したい文章でもないが、どうせ公開したところで誰も読まないのだから好きにしようではないか。

 ……と、ここまでもまた2021年に書いていたようだが、現在2023年7月まで公開していなかった。というか書いたことを忘れていた。(中盤のタイムマシンの説明の中で「2021年日本から中世フランスへ~」と書いているのは、2021年に修正したからだと思う)

 あまり共感は得られない気もするが、私は私の書いた文章が結構好きなので、このブログの過去の記事にしろ、某所で公開している創作小説にしろ、度々自分で読み返しては「分かる~!解釈一致!」などと思っている。さすがに高校時代やそれ以前に書いた文章などは、今とは考えが違うのが分かっているため読む気にもならないが、大学生以降に書いた文章は恐らく今書いても同じようなものになるだろう。成長していないともとれるが、ここはポジティブに「軸を持っている」と捉えておきたい。

 ちなみに今、私が欲しいドラえもんひみつ道具は「スペアポケット」だ。これは子供の頃この話題になると「スペアポケットは空なので他のひみつ道具が使えるわけじゃありませーん!」と言われる代物だったが、私は他の道具は別に要らないので、単に大容量収納グッズとして欲しいなと思っている。外出時の荷物を増やしたくないし、部屋で置き場に困っているものをとりあえずスペアポケットに入れておきたい。私もまた冒頭のサラリーマン男性同様、中途半端に現実的な大人になってしまった。

名は体を表すとは言うが

 8月1日、M-1グランプリ2022が開幕した。少し前からお笑いについて書くことが増えているのでお気づきかと思うが、ここ数年で私は結構なお笑いファンになっている。
 元々子供の頃から「エンタの神様」や「爆笑レッドカーペット」などのネタ番組や、「はねるのトびら」などのコント番組は毎週楽しみに観てお気に入りの芸人もいたし、M-1をはじめとする賞レースも一応毎年見ていたので お笑い自体は好きだったのだが、ここ数年は賞レース(特にM-1)に挑戦する芸人たちを、スポーツの大会を楽しむようにある種の緊張感を持って見ている。
 ひょんなことからハマったコンビの片方が熱狂的M-1オタクで、それに影響されたというのも理由の一つだが、元々スポ根系漫画などもこう見えて(?)好きなので、私のように「特定のスポーツそのものが好きというわけではないが、スポーツ観戦やスポ根漫画は楽しめる」というような人間はハマりやすいジャンルじゃないかと思う。

 ちなみに数年前から私が一番応援しているのはカベポスターというコンビで、去年・一昨年とM-1の準決勝まで進出しており、お笑いファンの間では既に実力派として有名だが、世間一般的にはまだそこまで知られていないと思う。そんなカベポスターだが、今年は関西の若手向け賞レース2つで優勝しており、今まさに「キている」コンビである。今年こそM-1決勝進出!と多くのファンは思っているが、私は同時にこれ以上人気が出てしまうのを寂しく思う気持ちもある。そんな超無名時代からの古参ファンでもないくせに図々しい……とも我ながら思うのだが、私はそういう人間である。

 お笑い賞レースはスポーツと親和性が高いという話だが、当然ながら努力が実り成功する者ばかりでなく、いつまで経っても日が当たらない者もいるという点も同じである。
 今年の3月、ジソンシンというコンビが解散した。恐らくジソンシンを知っている人は結構なお笑い好きだと思うのだが、私が彼らを初めて知ったのは妹と『探偵ナイトスクープ』の番組観覧に行ったときのことで、そこで前説をしていたのがジソンシンだった。正直、その後も私は彼らのネタはほぼ見ることはなく、特に応援していたわけでもないのだが、コンビ名だけは覚えていたため、解散したと知った時はなんとなく切ない気持ちになった。
 今や売れっ子となった芸人が、売れてない時代の話をする中で「前のコンビを解散して~」などと言っているのはよく聞くが、あまり売れていない若手芸人の解散を知ると、その「前のコンビ」がこれなんだろうか……などと考えたりしてしまう。しかしそもそも解散後売れる人も一握りだろう。解散後それぞれ別の相方とコンビを組んで、現在どちらも売れているアインシュタイン河井さんとアキナ山名さんみたいなのは相当レアなパターンだと思う。

 さて、随分前置きが長くなってしまったが、そんな元ジソンシンの酒井さんが数か月前に別の芸人と「若葉のころ」というコンビを新たに結成したらしい。正直なところ「ふぅん」としか思わなかったのだが、酒井さんが新コンビ結成を報告するツイートに、興味深い反応を示していた人がいた。
 こう書くと有名人か何かがコメントしていたのかと思われるかもしれないが、そういうわけではなく、ただの一般人らしき全然知らない人のツイートなのだが、「『若葉のころ』って、Kinki kids主演のドラマタイトルですよね。あのドラマのファンなのでやめてください。繊細で切ない物語なのに、芸人の名前に使われるのは雰囲気壊されて嫌です」(要約)というものがあった。

 『若葉のころ』というドラマは知らなかったのだが、同様に作品タイトルを付けている有名な例だと『さらば青春の光』などがあるが、これに関してはもはや芸人の方が有名かもしれない。(偉そうに書いているが、私も映画の方の『さらば青春の光』は全く観たことはない。)
 余談も余談だが、昔友人4人でUSJのハロウィンイベントに行った際、友人の一人が映画好きで、映画『さらば青春の光』の主人公をイメージした格好をして来ていたのだが、クルーさんに「(踊る大捜査線の)青島刑事ですよね!」と言われていた。確かに言われなきゃ私もそっちだと思いそうだ。

 話をコンビ名に戻すが、芸人のコンビ名は他の芸能人の芸名やグループ名と比べて固有名詞を使っているものが多く、芸人という仕事上その名前でふざけたこと・馬鹿馬鹿しいことをするため、他にも「失礼だからやめてくれ」と言われそうなものも多そうだ。
 私がなんだかんだ未だに応援しているスーパーマラドーナは 旧コンビ名がマラドーナだが、サッカーファンの中には不快に思う人もいるかもしれないし(正直武智さんの度重なるやらかしを思うと、仮にいても文句は言えない気もする)、先に挙げたアインシュタインだって相対性理論アインシュタインを馬鹿にしていると言う人もいるかもしれない。もっとも人名の場合はそもそも別のマラドーナさん、別のアインシュタインさんだって居るだろうから、作品名とはまたちょっと事情が違うかもしれないが。

 例の「好きなドラマのタイトルだからやめてほしい」というツイートを見た最初の印象は「こわっ!何もそんな風に言わんでも!」という感じだったのだが、よくよく考えたら自分が好きなもの・思い入れのあるものの名前を簡単に(というのも一方的な判断でしかないのだけれど)芸名に使ってほしくない・茶化されたくないという気持ちは分からんでもない。
 少し違うが、神話の登場人物なんかを検索すると、真っ先にアニメやゲームだかのキャラクターが出てくるのもなんかモヤる。別にそういう擬人化・美少女化・イケメン化的作品が悪いわけではないし、私も(内容にもよるが)好きなのだが、普通に検索したときには出てこないでほしい。

 芸人という仕事自体をコンテンツとして楽しむようになってから、コンビ名の由来も調べたりするのだが、そのコンビ名で売れる・売れないというだけでなく、こういう問題も出てくるよなと改めて感じている。せめてその由来となった作品なり人物なりのイメージに泥を塗らないような活躍をしてほしいなと思いつつ、さらばのブクロさんは恐らくかなり泥を塗っているが、なんだかんだで世間から愛されているので凄いなと感じている。

ありがとう亀山薫

 『相棒』シリーズ5代目相棒として亀山薫寺脇康文)が復帰するというニュースが今朝発表された。
 このニュースにファンはもちろん、それ以外の人も驚愕し、Twitterでは「相棒」「亀山」などというワードがトレンド入りを果たしている。私は通勤途中にLINEをチェックしていると、相棒公式アカウントから通知が入り、なんだろうなと何気なく開いたらこのニュースである。思わず満員電車の中で声を上げるところだった。
 以前冠城亘卒業が発表された際には、次期相棒がどうなるのか不安だということを書いたが、結果的に予想を大きく裏切られたわけだ。もちろん良い方向に。

 いや、予想を裏切られたというのもまた少し違う。前々から亀山くんが帰ってきてくれたら良いのになとは思っていたし、ここ数年では特命係に亀(本物、turtleの亀)がやってきて亀山くんの永遠の相方(?)伊丹が「特命係に亀……」と言ったり、初期シーズンの名物キャラで亀山くんとも仲の良かったゲイバーの店主・ヒロコママが久々に登場し、亀山くんの名前を出したりと、亀山くんの存在を匂わせる演出が続いており、私を含め相棒ファンは亀山くんの再登場を期待しつつも、まあそれは無理だろうなとある種夢物語・オタクの妄想だと思っていた。
 そんな中での満を持しての亀山くん相棒復帰!!本当に現実の話か!?と思ったのは私だけではないだろう。

 こんなに相棒オタクをやっておいてなんだが、(私の年齢的に仕方がない部分もあるとはいえ)私が相棒をリアルタイムで観始めたのは相棒が及川光博さん演じる神戸くんに変わった2009年season8からで、亀山くん時代は全て再放送で観ていた。つまり、リアルタイムで亀山くんを観るのは2022年10月が最初になるのだ。
 とはいえ、14年間再放送を何度も何度も観てきたのだから、その辺の相棒ファンには負けないと思っている(何が?)

 あの体力バカでお人よしで、変人で友達のいなかった右京さんに真正面からぶつかって、友好関係を築き上げ、そして去っていった亀山薫が帰ってくる。あの頃の亀山くんがそのまま戻ってくるのではなく(それはそれで良いと思うけれど)、14年間サルウィンで活動した亀山くんが右京さんと再会して何を話すんだろう……なんかまだ始まってもないのに想像しただけで泣きそうである。
 14年ぶりに帰国したら、捜査一課の三浦さんや米沢さんがいなくなり、花の里も閉店して、刑事部長が別人のようになっていているのを見て時代の流れに驚くシーンも見たいし、その後で、14年前に最後まで悪態をつきながら別れたもう一人の相棒・伊丹の全く変わらない姿を見て当時と同じようにケンカしてほしい。

 ちなみに相棒をあまり知らない人への補足だが、相棒では作中での時間の流れが現実での時間とほぼイコールになっているため、作中でもちゃんと「14年ぶりに帰ってきた」亀山くんとして登場してくれるのだ。改めて相棒という作品の凄さを感じられる。

 そして、この亀山くん復帰という衝撃発表を聞いて「終わりの始まり」を意識せざるを得ないとも感じている。
 『相棒』に限った話ではないが、「最初の相棒と時を経て再会する」なんて長編作品の最終回の典型例じゃないか。

 ところで相棒をあまり熱心に観ていたわけではない人の中には「初期の頃から比べて、右京さんのキャラ変わりすぎ」と言う人もいるが、それは当然である。『相棒』は「相棒」を通じた杉下右京という一人の人間の成長物語だ。亀山薫との出会いをきっかけに、神戸尊、甲斐享、冠城亘と関わっていくことで慇懃無礼で頭の固い杉下右京が変わっていく。
 特に「正義とは何か」「正しさとは何か」というのは『相棒』シリーズの一つの大きなテーマでもあったが、相棒や事件関係者に対する右京さんの言動を見ていると、彼の考えにも変化があったことがうかがえる。亀山くんとの再会は、右京さんがこの20年以上の時間の中で多くの出会いと別れを繰り返し、彼の「正義」について結論を出す時間なのかもしれない。

 

 歴代の相棒も総出演で右京さんのピンチを救うなどしてくれたら最高だ。いつかは必ず終わるのならば、美しい形で幕を閉じてほしいものである。

 以前も書いた通り、これが私の理想の『相棒』最終回だが、その第一歩が予想外にも叶ったのだ。喜ばしい反面、いざ終わりを意識するとやはり悲しい。人生の約半分を共に過ごしてきたのが『相棒』なのだから当然と言えば当然だが、まだ始まってもいないのにこんなにいろんな感情が溢れてしまう。
 何はともあれ、10月のseason22放送まで残り4か月ほど。万全の体制で視聴できるように整えておかねば。

絵馬に願いを

 タイトルはSound Horizon、通称サンホラというアーティストのアルバム名をちょっと変えて拝借しているが、今回はサンホラのことは全く関係ない。なおサンホラは、一般的にはアニメ『進撃の巨人』のOP曲で知られているRevo氏が主宰を務めるグループだが、そんなことはこのブログを読んでいるような人なら私よりもよく知っているだろう。もし知らなければ一度ググって聴いてみてください。ちなみに私はサンホラのにわかファンを15年やっているが「聖戦のイベリア」というアルバムが好きだ。

 さて、絵馬といえば神社に飾られている願い事を書くものだが、私は神社を訪れた際に他人が書いた絵馬を結構読んでしまうタイプである。悪趣味だという自覚はあるのだが、一つが目に入ってしまうと、そこから隣の絵馬を、その隣を……とじっくり読んでしまうのだ。

 先日出張で東京に行った際、時間ができたので明治神宮に行ってみた。幼い頃に一度行ったきりなので、もはや初参拝と言ってもよい明治神宮は意外にも人が少なく、GW前のきつい日差しと原宿の人混みから逃れられるオアシスのような場所だった。
 そんな明治神宮の絵馬に書かれた内容だが、やはり多いのは合格祈願だ。さすが東京の有名神社と言うべきか、「東京大学理Ⅲ 絶対合格」など、思わずおおっと声が出るようなものも幾つか見かけた。一方、地方の小さな神社だと「〇〇高校 合格」など、聞いたことのない学校名が書いてあることも多く、それはそれでなんだか趣深い。少し話はずれるが同じような理由で、出張先や旅行先(特に田舎の方)の塾に貼りだされている「〇〇高校 ××名合格」という貼り紙を見て「この地域では〇〇高校が進学校なのか」などと考えてしまう。
 あとは安産祈願や、恋愛系、子供が書いた「家族仲良く暮らせますように」とか「お金持ちになりたい」というような、ありきたりだが微笑ましいものが並んでいる。

 そんな中、全体の数こそ少ないものの、女性らしい字で書かれた「〇〇(アイドルグループ)のライブチケット絶対に取れますように」や「〇〇くん(アイドルか何か)がもっと活躍できますように」などといった「推し活系」の絵馬がここ数年でよく目につくようになった。この手の願い事を見るたび私は「そんな、絵馬に書いてまで願うことなのか……?」と驚いてしまう。
 もちろん人の願い事なんて自由だし、それに口出しをしたいわけではない。ただ勝手なイメージだが、例えばショッピングセンターのイベントスペースなどで催されているボードに貼り付ける絵馬風のメモや、あるいは七夕に用意された棚に括り付ける短冊と比べると、神社の絵馬は「本気」の願い事という感じがする。
 別に神聖なものだからどうという話ではなく、1000円程度はするであろう木の絵馬を買って油性マジックで書く、そして他の参拝者の目にも入るとなると なかなか失敗もしづらいし、私ならそんな気軽に書けないと思う。恐らくこれも以前書いた私のケチな性格が出ているのだと思う。

 しかし、推し活系願い事を絵馬に書くタイプの人も、決して絵馬記入に対する心理的ハードルが低いわけではなく、彼女(彼)にとっては合格祈願と同じくらい重要なのかもしれない。
 私は人生で一度もアイドルなどの芸能人に興味を持ったことがなく、強いて現在推しと言える存在があるとすれば何組かのお笑い芸人だ。しかし、数回程度だがライブに行ったり配信を見たり、M-1等の賞レースでの活躍を応援して一喜一憂はするものの(この頃と比べるとだいぶお笑いファンに近づいたと思う)、赤の他人である芸人たちのために祈ろうとは思えない。多分神社の絵馬どころかイオンの七夕飾りにすら書かない。薄情な女である。

 一方で推し活絵馬の彼女(彼)たちは、願いが叶ったところで認知されるかすら怪しい上、自分には1円も入らないのに赤の他人のことを祈れるのだ。もはや人間としての格が違う。嫌味に聞こえたら申し訳ないが、決してそんなことはなく、本気でそう思うのだ。
 しかし恐らく彼女たちの多くは「別にそんな大したことはない」「推しの活躍が自分の幸せになるから願うだけで、そんな人格者ではない」と謙遜するのだろう。そしてそれもまた事実なのだろう。私もいつかここまで言えるくらい何かにハマってみたいものだ。今度神社に行ったときは「何か夢中になれるものが見つかりますように」とでも絵馬に書いてみるか。

 

変なゲームにハマる日々〜ありがとうイオンモール大牟田〜

 イオンモール大牟田——福岡県大牟田市に存在するイオンモールの店舗だが、私はこのイオンモール大牟田に かつて大変お世話になっていた。
 この名前に聞き馴染みがあるのは、周辺地域に住んでいて このイオンモールを利用したことがある人くらいだろう。一方私は、生まれてこの方ロシア留学を除けば関西にしか住んだことがなく、旅行ですら福岡県を訪れたのは数えるほどである。なんなら、大牟田というのが福岡県の地名だというのも、今になって知ったようなものである。そんな私が一体何があって「イオンモール大牟田」の世話になることがあるのか。

 2014年~2016年頃、私はとあるゲームアプリに熱中していた。そのゲームとは「口先番長VS」というものである。このゲームを簡単に説明すると、「一人でしりとりをしてどれだけ高得点を取れるかをオンラインで全国のユーザー相手と戦う」というものなのだが、これがなかなか奥深かった。

 ルールとしては、幾つかのひらがな(50音全てがあるわけではない)が画面に表示され、その表示されているひらがなを使って一人でひたすら しりとりをしていく。使える単語は2~10文字のもので、りんご、ごりら、らっぱ のような一般的な名詞は勿論、芸能人の名前やアニメキャラの名前、J-POP曲のタイトルなども使用できた。
 そして基本的には文字数が多いほど・使われているひらがなが多いほどポイントが高い。例えば、同じ6文字の単語でも「東京都(とうきょうと)」より「北海道(ほっかいどう)」の方が使われているひらがなが多いので高ポイントがつく。こういった具合で制限時間内にひたすら一人しりとりを行い、対戦相手よりも高得点をとれば勝利できるのだ。

 私はこのゲームで無課金勢にしてはそこそこランキング上位にいたのだが、コツとしては「時間を無駄にしないこと」「とりあえず何か単語を繋げること」が大事だったと思う。勿論、文字被りのない9文字や10文字の単語を連発できればそれに越したことはないのだが、50音すべてを自由に使えるわけではないので、そんなことは殆ど不可能である。また短い制限時間の中、長考している暇もない。因みに盤面は一回単語を打つたびにランダムでひらがなが入れ替わるが、「ん」、「ー(伸ばし棒)」、濁点・半濁点は常に使用できた。というわけで、適当に「りんご」→「ごーと」→「とんざ」などで繋ぎ、強そうな単語を作れそうな盤面が来たらそれを打つというのが一般的な戦い方だった。
 とはいえ、3文字程度の短い単語を連発するだけではポイントは低いため、中級レベル以上のプレイヤーが相手では勝てない。そこでコスパの良い単語=「ん」や「ー」も使いつつ、少ないかな数でどれだけ文字数の多い単語を打てるかが勝負の鍵を握っていた。

 そこで登場するのが、冒頭の「イオンモール大牟田」である。「イオンモール」で必要になるのは、常に使える「ん」「ー」を除けば「い」「お」「も」「る」の4文字で、これだけなら比較的盤面に登場しやすい。また一般的なしりとりのルールと同様、一回使った単語は打てないのだが、「イオンモール○○」と最後の地名を変えれば通るため、「イオンモール」シリーズは、私を含め愛用者の多い単語であった。中でも「イオンモール大牟田」は「む」「た」のプラス2かな あれば合計10文字稼げるため、ほぼ毎回の対戦で使っていた。同じプラス2かな の「イオンモール大垣」や、合計9文字になるが「イオンモール太田」もよく使用したが、個人的にはやはり「イオンモール大牟田」が入力のしやすさや語感も込みで一番好きだった。

 因みに、「イオンモール」シリーズ以外の有名良コスパワードとしては「上鳥羽南花名(かみとばみなみはなな)」、「信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)」、「雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)」などがあった。
 また、私はあまり使用していなかったが「スーパー○○」系も対戦相手のワードでよく見かけた。私はこれでお笑いコンビ「スーパーマラドーナ」を知り、(ツッコミ担当のMおじこと武智さんは色々やらかしているので複雑な気持ちもありつつ)今なお応援している。スーマラの二人も、まさかこんなルートで入ったファンがいるとは思っていないだろう。
 こんな風に、このゲームをやっていなければ知ることのなかった・関わらなかったであろう物事がたくさんある。しりとり勝負が楽しいというのも勿論あるが、こうやって新たに自分の知識が増えていくこともまた、このゲームの楽しみであった。

 さて、これまでの文章全て「楽しみであった」などと過去形で書いてあることからもお分かりのように、この「口先番長VS」は既にサ終(サービス終了)している。
 一人プレイ用の「口先番長」*1から始め、リリースされてすぐに「口先番長VS」もやり始め、毎日ライフの回復を今か今かと待ちながら仕事のようにプレイし、より強い単語を探してはメモまでしていた。生活していて見聞きする単語の文字数を無意識にカウントする癖がつき、今でも恐らく世間の平均よりは単語の文字数カウントが早いと思う。全然何の役にも立たない特技である。
 サ終のお知らせを聞いたときは、本当に目の前が暗くなった。大学からの帰り道、辛すぎて普段40キロを守って運転していた原付をマックスまで飛ばしながら泣いた。無課金のくせに何をと思われるかもしれないが、今までの人生で一番ハマったゲームはポケモンでもダンガンロンパでもどうぶつの森でもなく「口先番長VS」だ。

 どうしても「口先番長VS」への未練が断ち切れず、同じようなゲームがないかとずっと探していたところ、1年ほど前、知人から「限界しりとり」というQuizKnock制作のゲームアプリを教えてもらった。
 こちらは相手としりとりで対戦し、初めに与えられた持ち時間が先に無くなった方が負けである(自分が考えている間はカウントが進み、相手が考えている間は止まる)が、このゲームの大きな特徴として、使えるひらがなに制限がない代わりに、コンピュータがランダムでと文字数を指定してくる。例えば、相手が「あいす」と打ってきた場合、こちらは「す」から始まる単語を打つが、コンピュータが「5文字」などと指定してくるので、「すなあらし」など5文字の単語を打たないと相手に返せない。
 「口先番長VS」で修行していたお陰で、今のところ知人とのフレンド対戦でも見知らぬ誰かとのオンライン対戦でも負けたことはないが、文字数の指定がかなり厳しく、このまま勝ち続けるにはまた「口先番長VS」にハマっていたときと同じかそれ以上の勉強(?)が必要だと感じている。
 しかし正直なところ、「限界しりとり」にはそこまでハマることはできていない。理由は色々あるが、やはり「口先番長VS」を求めてやっている気持ちが根底にあるため、これじゃないんだよな……となってしまうのかもしれない。
 去年の秋、旅行で九州に行った際 地図上に「大牟田」という地名を発見してから、また「口先番長VS」への気持ちが蘇ってしまった。どうにか復活してくれないかなと思いながら、今日も私はその辺の文字数をカウントしている。

 

*1:一人プレイ用の「口先番長」は現在もサービスが続いている

www.kuchisaki-bancho.com

敵は過去の自分自身〜激ムズのクイズ〜

 明けましておめでとうございます。2017年元日にこのブログを始めてからはや5年……5年!?本当に!?と思い、指折り数えてみるも ちゃんと5年経っている。光陰は矢どころかロケットくらいの速さじゃないのか。

 私事だが昨年11月には見事ブラック部署から急な異動が叶い、しばらくは新しい部署での引き継ぎと仕事を覚えるため、在宅勤務は週1程度に抑え、昨年末まではほぼ毎日出社していた。
 これまでは出社する日も基本的には昼休みの時間に移動していたので、平日朝の電車に乗るのは久々だったが、車内はコロナ前と殆ど変わらないくらい混雑しており、人のカバンに顔がぶつかったり、音楽を聴いている人が近くにいると私にもガッツリ聴こえてきたりすると、一応今もコロナ禍中にいるということを忘れそうだ。

 音漏れで一つ思い出した出来事がある。3〜4年前、夜遅くにバイト先から実家まで電車で帰っていたときのことだ。地方ローカル線の下り列車かつ時間も時間だったため、車内には数えるほどしか人がおらず、ガタガタと車輌が揺れる音だけが響く。そんな中、とある駅で一人盛大に音漏れをした人が乗り込んでくる。正確には音漏れというどころではなく、ラジカセでも持ち込んで音楽を流しているのかというくらいの音量だ。

 音漏れの主はガラガラの車内の座席についた後も音量を調整することもなく、相変わらず爆音で音楽を流し続ける。最初はイヤホンを繋ぐのを忘れているのではないかとも思ったが、そもそもイヤホンをしているようにも見えず、そうでなくてもいい加減気付きそうなものなのに……などと考えていたが、ずっとその状況が続き、その曲が妙にノリの良い洋楽だったのも相まって、もはや車内BGMとして音楽を楽しんでしまっていた。なんとなく、私だけでなく他の乗客も同じように音楽にノっているように見えて、車輌全体で一体になったような気分だ。

 そして音楽がサビに差し掛かると、「あぁ、この曲だったのか!」と思わず声が出そうになった。私は外国語学部卒のくせに恥ずかしながら洋画や洋楽にまったく知識がなく、それまでは単に「ノリの良い曲」としか思っていなかったのだが、サビはそんな私でも知っている有名なもので、よりテンションが上がってくる。そういえばこの曲は何というタイトルなんだろうと、曲中にあった、私でも聴き取れるような簡単で印象的なフレーズで検索してみるが、この曲は見つからない……

 

***

 

 そこで問題なのが、今現在もこの曲が何だったのか全くわからないことである。なにも先ほどまで曲名をボカしていた訳ではなく、本当に思い出せないから書きようがなかったのだ。
 曲名が未だに分からない、というなら今からでも手がかりを元に調べられるかもしれないが、今となってはサビのメロディも、印象的なフレーズも、それどころかボーカルが男性だったか女性だったかすら思い出せない。
 だったらそのまま忘れておけよという話だが、一度気になってしまうと止まらず、年末年始もモヤモヤしっぱなしである。

 今覚えていることといえば、
・ノリの良い曲
・サビは 洋楽の知識が全くない私でも知っているような超有名曲=日本でCMに使用された可能性が高い(サビ以外はあまり有名ではないかもしれない)
・私でも聴き取れるような簡単な単語or短文で印象的なフレーズがある
というザックリにもほどがある条件だ。

 先日、洋楽にそこそこ詳しい知人にこの話をして、色々と候補を出してもらったが、これだ!というものはなかった。
 ちなみに自分で考えていると、最近コカコーラのCMで使われていた曲の"This is Me"のフレーズが邪魔をしてくるが、この曲ではない。でもこれくらい分かりやすいものだった可能性が高い。
 せめて私がその印象的なフレーズさえ覚えていれば何とかなったかもしれないと思うと、私の記憶力にはほとほと絶望するばかりだ。

 そういえば、高校生かそれくらいの頃にも同じようなことがあった。
 カフェかどこかで流れていたビートルズアルバムの中の一曲で気に入ったものがあったが曲名が分からず、とりあえずシャウトが入っていたことだけは覚えていて、そのことをTwitterで呟いたところ、ビートルズ(特にポール・マッカートニー)の大ファンである高校の先輩が私のツイートをRTし、瞬く間にビートルズファンの中で「この曲じゃないのか?」という議論が始まった。余談だが、その中の一人が「興味深いクイズですね。ジョンのシャウトはテクニックの一つであるのに対し、ポールのシャウトは魂の叫びがそのまま出たもので〜」(ジョンとポールは逆だったかもしれない)というようなことを書いていたのも印象に残っている。
 結局このビートルズの曲は、先輩と見知らぬビートルズファン達のお陰で多分これだろうというものが見つかった(が忘れてしまった。先輩とファン達には申し訳ないが……)

 しかしこれは「ビートルズの曲」という大きな情報があってのことであり、今回はアーティストどころかボーカルの性別すら分からないのだ。
 そして何より怖いのは、仮に正解を出されても正解だと私自身が分からない可能性があることだ。本当に激ムズのクイズである。

 こんなどうでもいいことが頭の片隅に居座り続けるのも癪なので、なんとか2022年のうちに この問題が解決できたらいいなと思う。なので、洋楽に詳しい方、ご協力いただければ幸いです。何卒よろしくお願いします。